「フランス人は赤信号を渡る?!」
2010年01月21日
10年 1月21日 木曜日
長野日仏協会の会報『サヴァ』に、「フランス人のここが不思議?!」が話題になっている。
そのひとつに「フランス人は何故赤信号を平気で渡る?」が取り上げられている。
ではなぜ「赤信号を渡る」だろうか?!
(フランスの信号機)
●『シラクのフランス』の最後の部分に次の記述がある。
「横断歩道を赤信号で渡る歩行者が絶えることはないだろう。信号無視の歩行者に車がぶつかりそうになった際、怒られるのは常に運転手の方だろう。」
●『フランス人』にも、次の文が載っている。
「フランスでは、ドライバーは人にも物にも当てないものだと想定されているのである。
これは何か事故があればすべてドライバーの責任になるということだから・・・」
ということは、赤信号中でも歩行者への事故が起これば、ドライバーが悪い?
なお、この本のコラムに、フランスでも赤信号を渡れば、白い眼でみられる場所が書いてある。それはどこか?。ライン川を挟んでドイツと国境を接するフランス東部アルザスだそうだ。
したがって、「赤信号」に関してフランスでも、ドイツ色の濃いアルザスは例外地域のようだ。
●『ラクして得するフランス人 まじめで損をする日本人』のなかには、「平気で信号を無視する人たち」の項目がある。このなかに、次のように述べられている。
「人と自動車では、人が弱者だという点では日本もフランスのちがわない。それでは、なにがちがうかといえば、フランスの信号は人間様の便利のためにある点だ。自動車の運転手さんが赤信号で停車するのは当然だが、人間様はそうでない。信号が青ならば当然のこと、赤になっていても、自動車が来なければ人間様は渡る。自動車に轢かれたくないから、渡る前に左を見て右を見る。」
「信号のいうなりにならないで、自分の目で確かめる。判断を誤れば、轢かれて痛い思いをするのも自分だと、彼らは日々、肝に銘じながら信号無視を続けるのである。」
「私たち(日本人)が一人では信号無視をしないのは、自分で渡るか渡らないかの判断をしたくないからだ。」
(注:車の進行はフランスでは日本と逆方向になるため、まず左から見て次に右確認となる。)
■フランス人でなくとも、赤信号で車が左右から来ないのに渡らないで留まっているのは、不思議な光景に見える。
なお、『サヴァ』では、ほかに次の話題が上がっている。
「何故スーパーのレジや郵便局の窓口の長蛇の列に耐えられる?」
「TGV出発ホームの掲示は何故あんなに遅いのか?」
「スーパーに売っている食品を買う前に食べてしまい 空箱をレジに差し出すことに罪悪感はないのか?」
「理系も含めて大学生の男女比をみると、フランスでは何故女子学生が多い?」
-------------------
参考図書
長野日仏協会 『サヴァ』 2009年12月16日発行No.35
軍司泰史 『シラクのフランス』 岩波新書
サリー・アダムソン・テイラー 『フランス人』河出書房新社
吉村葉子 『ラクして得するフランス人 まじめで損をする日本人』 河出書房新社
(アルザスのストラスブールで走るトラム)
そのひとつに「フランス人は何故赤信号を平気で渡る?」が取り上げられている。
ではなぜ「赤信号を渡る」だろうか?!
(フランスの信号機)
●『シラクのフランス』の最後の部分に次の記述がある。
「横断歩道を赤信号で渡る歩行者が絶えることはないだろう。信号無視の歩行者に車がぶつかりそうになった際、怒られるのは常に運転手の方だろう。」
●『フランス人』にも、次の文が載っている。
「フランスでは、ドライバーは人にも物にも当てないものだと想定されているのである。
これは何か事故があればすべてドライバーの責任になるということだから・・・」
ということは、赤信号中でも歩行者への事故が起これば、ドライバーが悪い?
なお、この本のコラムに、フランスでも赤信号を渡れば、白い眼でみられる場所が書いてある。それはどこか?。ライン川を挟んでドイツと国境を接するフランス東部アルザスだそうだ。
したがって、「赤信号」に関してフランスでも、ドイツ色の濃いアルザスは例外地域のようだ。
●『ラクして得するフランス人 まじめで損をする日本人』のなかには、「平気で信号を無視する人たち」の項目がある。このなかに、次のように述べられている。
「人と自動車では、人が弱者だという点では日本もフランスのちがわない。それでは、なにがちがうかといえば、フランスの信号は人間様の便利のためにある点だ。自動車の運転手さんが赤信号で停車するのは当然だが、人間様はそうでない。信号が青ならば当然のこと、赤になっていても、自動車が来なければ人間様は渡る。自動車に轢かれたくないから、渡る前に左を見て右を見る。」
「信号のいうなりにならないで、自分の目で確かめる。判断を誤れば、轢かれて痛い思いをするのも自分だと、彼らは日々、肝に銘じながら信号無視を続けるのである。」
「私たち(日本人)が一人では信号無視をしないのは、自分で渡るか渡らないかの判断をしたくないからだ。」
(注:車の進行はフランスでは日本と逆方向になるため、まず左から見て次に右確認となる。)
■フランス人でなくとも、赤信号で車が左右から来ないのに渡らないで留まっているのは、不思議な光景に見える。
なお、『サヴァ』では、ほかに次の話題が上がっている。
「何故スーパーのレジや郵便局の窓口の長蛇の列に耐えられる?」
「TGV出発ホームの掲示は何故あんなに遅いのか?」
「スーパーに売っている食品を買う前に食べてしまい 空箱をレジに差し出すことに罪悪感はないのか?」
「理系も含めて大学生の男女比をみると、フランスでは何故女子学生が多い?」
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参考図書
長野日仏協会 『サヴァ』 2009年12月16日発行No.35
軍司泰史 『シラクのフランス』 岩波新書
サリー・アダムソン・テイラー 『フランス人』河出書房新社
吉村葉子 『ラクして得するフランス人 まじめで損をする日本人』 河出書房新社
(アルザスのストラスブールで走るトラム)
「精進料理(2010)」
2010年01月14日
10年 1月14日 木曜日

『善光寺の精進料理』を見開くと、文頭に次のことばが出てくる。
「善光寺大本願上人 一條智光
精 進
精進とは、ひたむきに善い方向にむかって励む心と、それを継続して実行する行為を意味しております。
精進する僧の頂く食事を精進料理と申しました。僧は食べさせて頂いた食物のすべての素材の生命を、自らの心と行為によって生かしきることをもって、その素材の生命力に感謝します。」
食前にお寺から 「食物をつくるひと、食事をつくるひと、食べるひと、それぞれに感謝をしてください」とのお話を聞く。
5kmのノルデックウォーキングのあとでしたので、精進に努めるよう願いみんなで美味しく頂きました。
----------------------------
参考図書
『善光寺の精進料理』 信濃毎日新聞社

『善光寺の精進料理』を見開くと、文頭に次のことばが出てくる。
「善光寺大本願上人 一條智光
精 進
精進とは、ひたむきに善い方向にむかって励む心と、それを継続して実行する行為を意味しております。
精進する僧の頂く食事を精進料理と申しました。僧は食べさせて頂いた食物のすべての素材の生命を、自らの心と行為によって生かしきることをもって、その素材の生命力に感謝します。」
食前にお寺から 「食物をつくるひと、食事をつくるひと、食べるひと、それぞれに感謝をしてください」とのお話を聞く。
5kmのノルデックウォーキングのあとでしたので、精進に努めるよう願いみんなで美味しく頂きました。
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参考図書
『善光寺の精進料理』 信濃毎日新聞社
「善光寺七福神巡り(2010)」
2010年01月12日
10年 1月12日 火曜日
善光寺七福神をノルデックウォーキングで巡って見る。
今年はスタート地点城山公園から善光寺に参り、そのあと西光寺まで下り、七福神を巡りながら再度善光寺前の世尊院経由で城山公園に再び帰る往復コース約5kmでした。
各善光寺七福神を巡ってみよう。
①寿老人 <刈萱山西光寺>
長頭、長髪、右手に杖、左手に長寿の印の宝珠をもっている中国の長寿の神。
<西光寺>では、「ほろほろと 鳴く山鳥の声聞けば 父かとぞ思う 母かとぞ思う」の句調「刈萱道心と石堂丸」の「絵解き」を、副住職夫人の語りで聞く。
さらに、「冥途への旅立ち 十王巡り」の語りも聞く。
十王は、亡者の生前の行いを判断して、それに応じて六道界の道へ送る十人の裁判官のこと。
地獄では、初七日から始まって七日ごとに判決が計七回、四十九日目まで続く。そのために必要な裁判官が7名。この中に地獄を司る有名な大王 閻魔大王が五七日目に陣取っている。さらに、百日目、一年目、三年目ごとに遺族が供養を行っているかどうかで、情状酌量の余地があるかどうかを判定する再審裁判官が3名。合計10名の裁判官が地獄にいる。 地獄では厳格な審判が下されるので、現世の三審裁判制度より厳しく十審制度になっている。それにしてもスピード審査だ。
②大黒天 <大国主神社>
大黒天は古代インドの闇黒の神で、戦闘神。日本の神 大国主命と混同され信仰を得ている。くろ(黒)くなってまめ(魔滅)に働いて大黒天を拝むと大福利益が得られる。
ここの<大国主神社>は、長野県内で大黒様をまつっている唯一の神社。
③福禄寿 <秋葉神社>
福禄寿神とは、幸福、高禄、長寿の三徳を具え、方位除災、商売繁昌、延寿福楽のご利益を現される中国の神様。
<秋葉神社>は十念寺と同じ境内にある。しかし、中央通りからは十念寺の入口になる。このためであろうか、中央通りには秋葉神社の福禄寿の案内版は立っていない。
秋葉神社の入口は南側の県庁に向かう通りからになる。ただし、秋葉神社入口正面に見えるのは大仏堂であり、そこには黄金の大仏が座っている。神社とお寺が同居しているため、迷う場所になる。
神社横に三尺坊の石碑が立っている。三尺坊は、秋葉神社にまつられている神は天狗で、福と禄と寿のご神徳があり、福禄寿の化身とされている。
④弁財天 <往生院>
弁天さまはインドの河の女神。七福神で唯一の女神で、運を開き、雄弁と知恵を授け、福を招く。学問や芸能にご神徳がある。祠の前に、琵琶を弾く弁財天の姿が見える。
⑤布 袋 <御本陣藤屋>
布袋尊は、中国唐代の禅僧。小柄で太鼓腹、大きな袋を担って福を施す神様。
雪の舞う今年の正月は、玄関口で太鼓腹を寒風にさらさしておられましたが、今は御本陣内に収まっている。
⑥恵比寿 <西宮神社>
七福神のうち、唯一メイド・イン・ジャパンの神様。もともと漁業の神様なので、右手に釣竿、左手に鯛を抱えている。商売繁盛、家内安全、除災開運、五穀豊穣などのご神徳がある。
⑦毘沙門天 <善光寺世尊院釈迦堂>
毘沙門天は、仏教の守護神 四天王の一人である多聞天と呼ばれている。甲冑をつけ、左手に宝塔をささげ、右手に矛を持つ戦いの神。しかし、心に勇気決断、暮らしに財という福の神として信仰されている。
なお、毘沙門天は、釈迦堂内の正面 釈迦涅槃像の左側(涅槃像の頭部側)に安置されている。
<善光寺世尊院釈迦堂>
(こちらのサイトをご覧ください)
善光寺本堂だけ寄り、仲見世横の世尊院釈迦堂を素通りしては、現世の御利益を得ないでもったいないような気がする。
ノルデックウォーキングで善光寺七福神を巡った後の最大の目当ては
「精進料理」でした。
------------
参考資料
『ノルデックウォーキングで巡る善光寺七福神』
信州ノルデックウォーカー
今年はスタート地点城山公園から善光寺に参り、そのあと西光寺まで下り、七福神を巡りながら再度善光寺前の世尊院経由で城山公園に再び帰る往復コース約5kmでした。
各善光寺七福神を巡ってみよう。
①寿老人 <刈萱山西光寺>
長頭、長髪、右手に杖、左手に長寿の印の宝珠をもっている中国の長寿の神。
<西光寺>では、「ほろほろと 鳴く山鳥の声聞けば 父かとぞ思う 母かとぞ思う」の句調「刈萱道心と石堂丸」の「絵解き」を、副住職夫人の語りで聞く。
さらに、「冥途への旅立ち 十王巡り」の語りも聞く。十王は、亡者の生前の行いを判断して、それに応じて六道界の道へ送る十人の裁判官のこと。
地獄では、初七日から始まって七日ごとに判決が計七回、四十九日目まで続く。そのために必要な裁判官が7名。この中に地獄を司る有名な大王 閻魔大王が五七日目に陣取っている。さらに、百日目、一年目、三年目ごとに遺族が供養を行っているかどうかで、情状酌量の余地があるかどうかを判定する再審裁判官が3名。合計10名の裁判官が地獄にいる。 地獄では厳格な審判が下されるので、現世の三審裁判制度より厳しく十審制度になっている。それにしてもスピード審査だ。
②大黒天 <大国主神社>
大黒天は古代インドの闇黒の神で、戦闘神。日本の神 大国主命と混同され信仰を得ている。くろ(黒)くなってまめ(魔滅)に働いて大黒天を拝むと大福利益が得られる。
ここの<大国主神社>は、長野県内で大黒様をまつっている唯一の神社。
③福禄寿 <秋葉神社>
福禄寿神とは、幸福、高禄、長寿の三徳を具え、方位除災、商売繁昌、延寿福楽のご利益を現される中国の神様。
<秋葉神社>は十念寺と同じ境内にある。しかし、中央通りからは十念寺の入口になる。このためであろうか、中央通りには秋葉神社の福禄寿の案内版は立っていない。
秋葉神社の入口は南側の県庁に向かう通りからになる。ただし、秋葉神社入口正面に見えるのは大仏堂であり、そこには黄金の大仏が座っている。神社とお寺が同居しているため、迷う場所になる。
神社横に三尺坊の石碑が立っている。三尺坊は、秋葉神社にまつられている神は天狗で、福と禄と寿のご神徳があり、福禄寿の化身とされている。
④弁財天 <往生院>
弁天さまはインドの河の女神。七福神で唯一の女神で、運を開き、雄弁と知恵を授け、福を招く。学問や芸能にご神徳がある。祠の前に、琵琶を弾く弁財天の姿が見える。
⑤布 袋 <御本陣藤屋>
布袋尊は、中国唐代の禅僧。小柄で太鼓腹、大きな袋を担って福を施す神様。
雪の舞う今年の正月は、玄関口で太鼓腹を寒風にさらさしておられましたが、今は御本陣内に収まっている。
⑥恵比寿 <西宮神社>
七福神のうち、唯一メイド・イン・ジャパンの神様。もともと漁業の神様なので、右手に釣竿、左手に鯛を抱えている。商売繁盛、家内安全、除災開運、五穀豊穣などのご神徳がある。
⑦毘沙門天 <善光寺世尊院釈迦堂>
毘沙門天は、仏教の守護神 四天王の一人である多聞天と呼ばれている。甲冑をつけ、左手に宝塔をささげ、右手に矛を持つ戦いの神。しかし、心に勇気決断、暮らしに財という福の神として信仰されている。
なお、毘沙門天は、釈迦堂内の正面 釈迦涅槃像の左側(涅槃像の頭部側)に安置されている。
<善光寺世尊院釈迦堂>
(こちらのサイトをご覧ください)
善光寺本堂だけ寄り、仲見世横の世尊院釈迦堂を素通りしては、現世の御利益を得ないでもったいないような気がする。
ノルデックウォーキングで善光寺七福神を巡った後の最大の目当ては
「精進料理」でした。
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参考資料
『ノルデックウォーキングで巡る善光寺七福神』
信州ノルデックウォーカー
「オリゴ糖」
2009年12月30日
09年12月30日 水曜日
長野市内の中央にある大手スーパーで「オリゴ糖」を買うと、50円分の「オリゴ糖」クーポン券をくれる。次に、「オリゴ糖」を買う時に50円分の金券になりそれだけ安くなる。
「オリゴ糖」は、腸内に宿る細菌のうち善玉菌の代表であるビフィズス菌のエサのなり、腸内環境を改善してくれる。腸内には、善玉菌、悪玉菌、日和見菌が宿り、お互いに勢力争いを行っている。このため、腸内の調子を良好に保つには、善玉菌が優勢な状況に保つ必要がある。善玉菌の勢力が強いと排便は無臭だが、悪玉菌が強いと臭く色も悪い。
ところが、食事環境や加齢とともに、体内に保有するビフィルス菌は段々減少して、悪玉菌の勢力が優勢になってくる。 このため、高齢者などは善玉菌を人為的に増やす必要が出てくる。善玉菌が優勢なひと程、健康で長生きできるようだ。
善玉菌を増やすには、2つの方法がある。
ひとつは、ビフィルス菌をヨーグルトなどとともに、口から入れる方法がある。ところが、この場合ビフィルス菌は、胃液などで抹消されてしまい入れた善玉菌100%は腸内に届かない。このため、胃液に殺されないようにカプセル内に入ったビフィルス菌入りヨーグルトがあるぐらいだ。
他は、 自分自身の腸内に持っているビフィルス菌を増加させる方法がある。エサとなる「オリゴ糖」を腸内に入れて善玉菌を自家増加させ、腸内環境の改善をはかる。
「オリゴ糖」は腸内の環境を良くするため、便秘の改善に有効である。下剤のような薬でないところがよい。便秘による宿便はいろいろな悪い病気のもとを発するようで、このため便秘をしないように工夫が必要になる。
さらに、普通の砂糖に比べてカロリーが約半分で熱にも強いので、ダイエットにも適している。このため、パン、コーヒーなどいろいろな料理やお菓子に添加して食べることが可能だ。特に食物繊維入りと併用して食べると腸内改善はさらに進む。
しかし、「オリゴ糖」は普通の砂糖に比べて値段が格段に安くない。このためか、どこのスーパーでも棚の一角に並んでいるだけだ。50円分でも安いほうがよいが、ネットでまとめて購入すればさらに安くなる。
なお、スーパーでペパーミント・ハープティーを購入すると、「オリゴ糖」のクーポン券が同時に付いてきた。
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便秘の改善などの「オリゴ糖」の効用について、詳しい情報は本か専門のサイトをご覧ください。
例えば、こちらのサイト
「オリゴ糖」は、腸内に宿る細菌のうち善玉菌の代表であるビフィズス菌のエサのなり、腸内環境を改善してくれる。腸内には、善玉菌、悪玉菌、日和見菌が宿り、お互いに勢力争いを行っている。このため、腸内の調子を良好に保つには、善玉菌が優勢な状況に保つ必要がある。善玉菌の勢力が強いと排便は無臭だが、悪玉菌が強いと臭く色も悪い。
ところが、食事環境や加齢とともに、体内に保有するビフィルス菌は段々減少して、悪玉菌の勢力が優勢になってくる。 このため、高齢者などは善玉菌を人為的に増やす必要が出てくる。善玉菌が優勢なひと程、健康で長生きできるようだ。
善玉菌を増やすには、2つの方法がある。
ひとつは、ビフィルス菌をヨーグルトなどとともに、口から入れる方法がある。ところが、この場合ビフィルス菌は、胃液などで抹消されてしまい入れた善玉菌100%は腸内に届かない。このため、胃液に殺されないようにカプセル内に入ったビフィルス菌入りヨーグルトがあるぐらいだ。
他は、 自分自身の腸内に持っているビフィルス菌を増加させる方法がある。エサとなる「オリゴ糖」を腸内に入れて善玉菌を自家増加させ、腸内環境の改善をはかる。
「オリゴ糖」は腸内の環境を良くするため、便秘の改善に有効である。下剤のような薬でないところがよい。便秘による宿便はいろいろな悪い病気のもとを発するようで、このため便秘をしないように工夫が必要になる。
さらに、普通の砂糖に比べてカロリーが約半分で熱にも強いので、ダイエットにも適している。このため、パン、コーヒーなどいろいろな料理やお菓子に添加して食べることが可能だ。特に食物繊維入りと併用して食べると腸内改善はさらに進む。
しかし、「オリゴ糖」は普通の砂糖に比べて値段が格段に安くない。このためか、どこのスーパーでも棚の一角に並んでいるだけだ。50円分でも安いほうがよいが、ネットでまとめて購入すればさらに安くなる。
なお、スーパーでペパーミント・ハープティーを購入すると、「オリゴ糖」のクーポン券が同時に付いてきた。
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便秘の改善などの「オリゴ糖」の効用について、詳しい情報は本か専門のサイトをご覧ください。
例えば、こちらのサイト
「軽井沢のイルミネーション」
2009年12月24日
クリスマス・イルミネーションが軽井沢で飾られている。
ここはイベント会場でなく外れているので、人の気配は少なく静かななかにイルミネーションだけが光っている。
ここからまっすぐ行ったところにイベント会場の「恵みシャレー軽井沢」があり、こちらはイルミネーションの種類も多く賑わっている。他に旧軽ロータリーや矢ヶ崎公園などでもイルミネーションが飾ってある。(ただし、25日まで)
しかし、レストランのイルミネーションが一番印象的だった。
「階段でのベビーカー」
2009年11月24日
09年11月24日 火曜日
スーパーの店内でポスターが目に付いた。
「ベビーカーを階段で運んでくれた」とポスター写真が出ている。
数年前にドイツで見た風景を思い出す。
ドイツのシュットガルト郊外に行ったとき、坂道が階段状になっていた。
階段の脇にさらに小さな階段が付いている。中央に狭い幅の階段があり(段数は広い階段と同じ)、その両側にスロープが付いている。
このため、ベビーカーをこのスロープ上に乗せて、押して中央のステップを上ってゆく。子供はベビーカーから降りて親や友人が手を引いて上っていく。
このようなスロープは自転車で階段を上がり下がりするときでも利用できる。
同じ構造のスロープを、ミュンスターの大聖堂へ行く階段でも見た。
階段にベビーカーを押して上れるような構造が付いていれば、「運んでくれた」と気を使うこともない。
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関連サイト
「ベビーカーを階段で運んでくれた」のポスター
「ベビーカーを階段で運んでくれた」とポスター写真が出ている。
数年前にドイツで見た風景を思い出す。
ドイツのシュットガルト郊外に行ったとき、坂道が階段状になっていた。
階段の脇にさらに小さな階段が付いている。中央に狭い幅の階段があり(段数は広い階段と同じ)、その両側にスロープが付いている。
同じ構造のスロープを、ミュンスターの大聖堂へ行く階段でも見た。
階段にベビーカーを押して上れるような構造が付いていれば、「運んでくれた」と気を使うこともない。
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関連サイト
「ベビーカーを階段で運んでくれた」のポスター
「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」へ歩く(5 最終)
2009年11月13日
09年11月13日 金曜日
来年2010年の「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」は「ヤコブの年」、すなわち7月25日の「ヤコブの日」が日曜日に当る年になる。前回の2004年から6年ぶりに大祭が開かれる。
来年の「ヤコブの年」に備えて補修中でだろうか、「栄光の門」を入ったところに建つヤコブ像の前は柵で囲ってあった。通常は巡礼者が「やっと着いた」とばかり、中央の柱にある「エッサイの樹」に手を付けるのだが、そのような行為は出来なかった。また、ヤコブ像の上部にあるタンパンも足場で見えない状態であった。
しかし、黄金で造ったヤコブ像に抱きつくところには、巡礼者だけでなく観光客も含めて列ができている。一人分の狭い急な階段を登ってヤコブ像に背中から抱きつく番が来て、やっとヤコブに会いに着ましたとなる。
この像の下側に狭い地下通路があり、その中央横奥にヤコブの墓がある。銀の箱に入った聖遺物が柵の奥に見える。地下通路へも狭いところに大勢のひとが入っている。

正午に巡礼のミサが始まる。大聖堂内の椅子席にはその前から巡礼者や観光客がすでに陣取って座っている。ミサが始まる時には空席はない。修道女らしい女性の素晴らしい声でミサが始まる。場内のみんなでミサの言葉を繰り返し述べる。これらが大聖堂内にこだまして響き渡る。ミサは45分間程度あるので長い。この間「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」に来たと厳粛な気持ちで聞き入っている。
その後、場内中央から香がもくもくと立ち上がる。いつ大香炉が宙に舞い上がるだろうかと、みんな期待して煙の方をみている。そのうちにボタフメイロが始まる。大香炉が天井に着かんとばかり舞出した。このときは椅子席も全員立ち上がってみている。ビュンビュンと太い綱の先に付いた大香炉が左右に揺れるので迫力が充分ある。

ボタフメイロを観るビューポイントがある。北側か南側の門側の後ろの端がよい。この位置だと一方向だけ見るだけで全体が見える。
さらに、この行事の最中に賽銭ではないにしても、重たそうな袋をもって廻って来られる。コインを入れてさらに重たくしてあげる価値はある。
ボタフメイロの舞は3分程度で終わる。8人で太い綱を引いて重さ50kgの大香炉を舞い上がせるのだから、長時間は無理だろう。
「巡礼のミサ」とボタフメイロは、約1時間で終える。

左右に分かれた南側のプラテリーアスの門(銀細工師の門)を出る。この門の右側が「裏切り」、左側が「誘惑」を表現している。左側に「アダムとイブ」その下に「ダビデ像」が立っている。
また、中央部に車輪状の謎解き版がある。 X,Pと横軸のI はキリストを表すギリシャ文字 X P I Σ T O Σ の最初の三文字から取っている。Aとωは、ギリシャ文字の最初の文字Αアルファと最後の文字ωオメガで、「私は最初(A)で最後(ω)である」とキリストの言葉を表している。
カテドラルのたくさんの彫刻を見て歩けば飽きないが、地の果て「フィステーラ(FISTERRA) 」へ急ぐ。

「フィステーラ(FISTERRA)」の近くの海岸は、リアス式海岸の名称の元祖だけあって入り組んでいる。
「フィステーラ」が海の向こうに見えるのだが、行くには入り江の海岸線を大回りしてたどり着く。また、海岸線の集落の色が、黄橙色の地中海沿岸の様子と似ている。メキシコ湾暖流の影響で暖かいそうだ。
「フィステーラ」に着くと、目に入るのがホタテ貝入りの道標。ここの距離表示は「0.00km」である。ところが、地の果ての先はマイナス距離でまだある。白い建物が灯台、その先に、巡礼者が履いていた靴などを焼く 焼却場、アンテナ塔、さらに先に行くと岩場に出る。なおも進むと、断崖となり大陸が終わり真っ青な大海原 大西洋へと向かう。そのはるか遠くから太陽が海と陸を照らしている。
ユーラシア大陸の最西端はポルトガルにあるようだが、「フィステーラ」はスペインの最西端である。大陸が終わり、巡礼道の終わりでもある。
しかし、何も見えない大海原の先にコロンブスが乗り出して新大陸を発見したように、巡礼を終えた海の先には新たな発見があるだろう。
巡礼姿のヤコブと二人の弟子が立つ「聖なる門」はしっかりと閉じていた。しかし、「ヤコブの年」の前年、すなわち今年の12月31日には開門される。
来年の「ヤコブの年」の次は、11年後の2021年になる。
このため、来年は通年以上の巡礼者や観光客が「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」を訪ねるだろう。
また、今回のツアーは特別企画で行われたが、来年は「ヤコブの年」でもあり、今後は新たな展開があるだろう。
「フィステーラ」から再び「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」に引き返して、最後のスペイン料理を頂くことにする。

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参考図書
中谷光月子 『サンティアゴ巡礼へ行こう!』 彩流社
村田栄一 『石も夢みるスペインロマネスク』 社会評論社
参考サイト
アルパインツアーサービス株式会社
来年の「ヤコブの年」に備えて補修中でだろうか、「栄光の門」を入ったところに建つヤコブ像の前は柵で囲ってあった。通常は巡礼者が「やっと着いた」とばかり、中央の柱にある「エッサイの樹」に手を付けるのだが、そのような行為は出来なかった。また、ヤコブ像の上部にあるタンパンも足場で見えない状態であった。
しかし、黄金で造ったヤコブ像に抱きつくところには、巡礼者だけでなく観光客も含めて列ができている。一人分の狭い急な階段を登ってヤコブ像に背中から抱きつく番が来て、やっとヤコブに会いに着ましたとなる。
この像の下側に狭い地下通路があり、その中央横奥にヤコブの墓がある。銀の箱に入った聖遺物が柵の奥に見える。地下通路へも狭いところに大勢のひとが入っている。

正午に巡礼のミサが始まる。大聖堂内の椅子席にはその前から巡礼者や観光客がすでに陣取って座っている。ミサが始まる時には空席はない。修道女らしい女性の素晴らしい声でミサが始まる。場内のみんなでミサの言葉を繰り返し述べる。これらが大聖堂内にこだまして響き渡る。ミサは45分間程度あるので長い。この間「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」に来たと厳粛な気持ちで聞き入っている。
その後、場内中央から香がもくもくと立ち上がる。いつ大香炉が宙に舞い上がるだろうかと、みんな期待して煙の方をみている。そのうちにボタフメイロが始まる。大香炉が天井に着かんとばかり舞出した。このときは椅子席も全員立ち上がってみている。ビュンビュンと太い綱の先に付いた大香炉が左右に揺れるので迫力が充分ある。

ボタフメイロを観るビューポイントがある。北側か南側の門側の後ろの端がよい。この位置だと一方向だけ見るだけで全体が見える。
さらに、この行事の最中に賽銭ではないにしても、重たそうな袋をもって廻って来られる。コインを入れてさらに重たくしてあげる価値はある。
ボタフメイロの舞は3分程度で終わる。8人で太い綱を引いて重さ50kgの大香炉を舞い上がせるのだから、長時間は無理だろう。
「巡礼のミサ」とボタフメイロは、約1時間で終える。

左右に分かれた南側のプラテリーアスの門(銀細工師の門)を出る。この門の右側が「裏切り」、左側が「誘惑」を表現している。左側に「アダムとイブ」その下に「ダビデ像」が立っている。
また、中央部に車輪状の謎解き版がある。 X,Pと横軸のI はキリストを表すギリシャ文字 X P I Σ T O Σ の最初の三文字から取っている。Aとωは、ギリシャ文字の最初の文字Αアルファと最後の文字ωオメガで、「私は最初(A)で最後(ω)である」とキリストの言葉を表している。
カテドラルのたくさんの彫刻を見て歩けば飽きないが、地の果て「フィステーラ(FISTERRA) 」へ急ぐ。
「フィステーラ(FISTERRA)」の近くの海岸は、リアス式海岸の名称の元祖だけあって入り組んでいる。「フィステーラ」が海の向こうに見えるのだが、行くには入り江の海岸線を大回りしてたどり着く。また、海岸線の集落の色が、黄橙色の地中海沿岸の様子と似ている。メキシコ湾暖流の影響で暖かいそうだ。
「フィステーラ」に着くと、目に入るのがホタテ貝入りの道標。ここの距離表示は「0.00km」である。ところが、地の果ての先はマイナス距離でまだある。白い建物が灯台、その先に、巡礼者が履いていた靴などを焼く 焼却場、アンテナ塔、さらに先に行くと岩場に出る。なおも進むと、断崖となり大陸が終わり真っ青な大海原 大西洋へと向かう。そのはるか遠くから太陽が海と陸を照らしている。
ユーラシア大陸の最西端はポルトガルにあるようだが、「フィステーラ」はスペインの最西端である。大陸が終わり、巡礼道の終わりでもある。
しかし、何も見えない大海原の先にコロンブスが乗り出して新大陸を発見したように、巡礼を終えた海の先には新たな発見があるだろう。
来年の「ヤコブの年」の次は、11年後の2021年になる。
このため、来年は通年以上の巡礼者や観光客が「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」を訪ねるだろう。
また、今回のツアーは特別企画で行われたが、来年は「ヤコブの年」でもあり、今後は新たな展開があるだろう。
「フィステーラ」から再び「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」に引き返して、最後のスペイン料理を頂くことにする。

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参考図書
中谷光月子 『サンティアゴ巡礼へ行こう!』 彩流社
村田栄一 『石も夢みるスペインロマネスク』 社会評論社
参考サイト
アルパインツアーサービス株式会社
「地附山トレッキング」(2)
2009年11月08日
09年11月 8日 日曜日
身近にある善光寺北側の地附山公園の紅葉が、今色付いている。
特に良いのは、植樹帯の紅葉トンネルを歩くができるところ。それに、落ち葉の上を踏みながら歩くので気持ちよい。
地附山公園の上部にあるトレッキングの入口は、開いてるのですぐに紅葉のトンネルのなかに入る。トンネルに入ると緩やかな登りになるが、その上に平らな部分がある。こども連れの家族や友達同士で紅葉を見ながら歩ける。 その上に、前方後円墳と円形古墳や桝形城跡もある。
欲いえば、これからは雪を被る飯綱山が見えるとなお良いのだが、コース上からは見えない。
さらに、展望の良い「見晴らし台」に地附山公園から直接行けない。旧有料道路のほうから遠回りして行くしかない。平らな「見晴らし台」からは眼下の長野市街地が見えて、お天気のよいときなど弁当をひろげるによいところ。
なお、3時過ぎると日影になり寒くなるので、お昼過ぎまでに行ったほうがよい。 それに5時以降と11月24日からは公園入口のゲートが閉められる。

特に良いのは、植樹帯の紅葉トンネルを歩くができるところ。それに、落ち葉の上を踏みながら歩くので気持ちよい。
地附山公園の上部にあるトレッキングの入口は、開いてるのですぐに紅葉のトンネルのなかに入る。トンネルに入ると緩やかな登りになるが、その上に平らな部分がある。こども連れの家族や友達同士で紅葉を見ながら歩ける。 その上に、前方後円墳と円形古墳や桝形城跡もある。
欲いえば、これからは雪を被る飯綱山が見えるとなお良いのだが、コース上からは見えない。
さらに、展望の良い「見晴らし台」に地附山公園から直接行けない。旧有料道路のほうから遠回りして行くしかない。平らな「見晴らし台」からは眼下の長野市街地が見えて、お天気のよいときなど弁当をひろげるによいところ。
なお、3時過ぎると日影になり寒くなるので、お昼過ぎまでに行ったほうがよい。 それに5時以降と11月24日からは公園入口のゲートが閉められる。
「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」へ歩く(4)
2009年11月07日
09年11月 7日 土曜日

ガリシア地方の大邸宅 パソ(Pazo)に宿泊した。ここは、周囲が牛の放牧地になっていて集落部と少し離れていてる。朝6時半ごろ外に出るとまた暗い。しかし、北側の天空には、北極星、北斗七星、Wのカシオペア、南側には三ッ星のオリオン座が一堂に見える。さらに、東の空には三日月が出ている。高い山がないだけに、360度回転の天空に星がいっぱい見える。
サンチャアゴ・デ・コンポステーラの名前がラテン語による「星の野 campus stellae」に由来するらしい。聖ヤコブの墓が発見されたころは、今よりもっと暗闇であったろうから、星が降るように見えただろう。空を眺めていると「星の野」という物語も頷ける。
8時近くになってやっと東の空が明るくなる。天気予報を見ていると、曇りか雨マークが多い画面左上のガリシア地方までお日様マークで覆われている。
メリーデの次の街 アルスーアに入る手前は坂道となっている。ここを後ろから、何人もの巡礼者たちが追い抜いていく。彼らの足取りはわれわれのスピードと全然違い、速い。一日30kmは歩くだろう。また、ピレネーやセブレイロ峠を越えて全長800kmのうち、残すところ40kmだけだから全然勢いが違う。それに、巡礼宿アルベルゲは先着順のようだから、先を急ぐのだろう。
それに控え、われわれは次の宿と1日の行程が決まっている。急ぐこともない。坂道を登てアルスーアのバルで休むことにする。
バルに入り、トイレを借りる段になって困った。ドアを見てどちらを使用すればよいの? ドアに絵が入っているけれど、どちらも美人画のように描いてある。両方とも女性用?

アルスーアを越えると農村、牧草地、森などのなかを通過する。前方を牛の一群が道をふさいで移動するのに出会う。どうしょうもないので、このときは牛の後ろを牛歩で進みしかない。また、羊の移動にも会う。 巡礼道自体は多少の凸凹はあっても大きな起伏はない。しかし、巡礼道の周辺の風景や状況が次から次へと変わるので飽きることはない。

そのなかで、よく出来ているなあと思ったことがある。
巡礼道の傍をスピードを出して車が走る幹線道路N-547が通っている。この幹線道路の上を横断する個所が何箇所ある。(この場合、道路横断の安全確認は、車の走ってくる方向が日本と逆のため注意がいる。) しかし、車が走る車道上を巡礼道として歩くことはなかった。必ず車道の横に巡礼道が付いている。道路を横断する場合でも、車道と巡礼道とが地形的に高低差が確保できる箇所は、道路下に巡礼用の地下道が設置されている。なお、日本のような歩道橋は今回の区間では見なかった。
四国巡礼を廻ったかたのはなしでは、四国では車の走る国道上を結構歩くそうだ。(そういえば、四国の「道しるべ(へんろシール)」が張ってあるのを見る。スペインの巡礼道の大きな表示に比べて、小さくかわいい表示との印象を持った。)
それに、コンクリート造りでタテ貝が入った大きな道標と石造りの距離標(サンチャアゴ・デ・コンポステーラまであと何kmかの表示)。さらに、曲がり角などの要所要所で、道標、壁、道上などにペンキで大きな黄色い矢印が描かれている。
途中のあるバルにスタンプをもらうために寄ったところ、各人が差し出す巡礼のパスポート、クレデンシアルにスタンプでなく一枚づつ手で書かかれたところがあった。それも曲線入りの図柄である。クレデンシアル上にはスタンプが多いけれど、手書きはこのバルのみで、貴重なクレデンシアルとなった。
頭上を飛行機が轟音をたてて通過する。飛行場の近くを通過して、国道沿いに出会うとサンチャアゴ・デ・コンポステーラへの碑が建っている。ラバコージャでスペインオムレツの昼食をとったあとは、放送局前を通過して「歓喜の丘 Monte de Gosa」まで歩く。
「歓喜の丘」からは、サンチャアゴ・デ・コンポステーラ市街地方向に大聖堂の突端部(多分?)が小さく見える。
「歓喜の丘」から下りとなりサンチャゴ・デ・コンポステーラ市街地に入ってゆく。その前に現地ガイドさんより「これより一緒になって歩くこと。街中に入ると道が複雑になって分からなくなるから」というような厳重な注意がある。ということで、ガイドさんの後から付いて行くことにする。
市内の中心部に入れば、中世に出来た狭い通りを通るので益々分かりにくい。それに通りの両側の建物でカテドラル自身が見えない。突然に、カテドランが見えると着ましたとの印象を受けて「オブラドイロ広場」前に出る。目の前には、カテドラルの正面が突如と建っていた。

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参考図書
サンチャアゴ・デ・コンポステーラ市街地内のルートについては
『サンチャアゴ巡礼へ行こう!』(彩流社)に記述がある。
また、略図が『 A Pilgrim's Guide to the Camino de Santiago 』に記述されている。
サンチャアゴ・デ・コンポステーラの名前がラテン語による「星の野 campus stellae」に由来するらしい。聖ヤコブの墓が発見されたころは、今よりもっと暗闇であったろうから、星が降るように見えただろう。空を眺めていると「星の野」という物語も頷ける。
メリーデの次の街 アルスーアに入る手前は坂道となっている。ここを後ろから、何人もの巡礼者たちが追い抜いていく。彼らの足取りはわれわれのスピードと全然違い、速い。一日30kmは歩くだろう。また、ピレネーやセブレイロ峠を越えて全長800kmのうち、残すところ40kmだけだから全然勢いが違う。それに、巡礼宿アルベルゲは先着順のようだから、先を急ぐのだろう。
バルに入り、トイレを借りる段になって困った。ドアを見てどちらを使用すればよいの? ドアに絵が入っているけれど、どちらも美人画のように描いてある。両方とも女性用?
そのなかで、よく出来ているなあと思ったことがある。巡礼道の傍をスピードを出して車が走る幹線道路N-547が通っている。この幹線道路の上を横断する個所が何箇所ある。(この場合、道路横断の安全確認は、車の走ってくる方向が日本と逆のため注意がいる。) しかし、車が走る車道上を巡礼道として歩くことはなかった。必ず車道の横に巡礼道が付いている。道路を横断する場合でも、車道と巡礼道とが地形的に高低差が確保できる箇所は、道路下に巡礼用の地下道が設置されている。なお、日本のような歩道橋は今回の区間では見なかった。
四国巡礼を廻ったかたのはなしでは、四国では車の走る国道上を結構歩くそうだ。(そういえば、四国の「道しるべ(へんろシール)」が張ってあるのを見る。スペインの巡礼道の大きな表示に比べて、小さくかわいい表示との印象を持った。)
途中のあるバルにスタンプをもらうために寄ったところ、各人が差し出す巡礼のパスポート、クレデンシアルにスタンプでなく一枚づつ手で書かかれたところがあった。それも曲線入りの図柄である。クレデンシアル上にはスタンプが多いけれど、手書きはこのバルのみで、貴重なクレデンシアルとなった。
頭上を飛行機が轟音をたてて通過する。飛行場の近くを通過して、国道沿いに出会うとサンチャアゴ・デ・コンポステーラへの碑が建っている。ラバコージャでスペインオムレツの昼食をとったあとは、放送局前を通過して「歓喜の丘 Monte de Gosa」まで歩く。「歓喜の丘」からは、サンチャアゴ・デ・コンポステーラ市街地方向に大聖堂の突端部(多分?)が小さく見える。

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参考図書
サンチャアゴ・デ・コンポステーラ市街地内のルートについては
『サンチャアゴ巡礼へ行こう!』(彩流社)に記述がある。
また、略図が『 A Pilgrim's Guide to the Camino de Santiago 』に記述されている。
「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」へ歩く(3)
2009年11月02日
09年11月 2日 月曜日

アストゥリアスからガリシアのルーゴ(LUGO)に入る。ちょうどこの日は、コロンブスがアメリカ大陸を発見した記念日にあたりスペインでは祝祭日になっている。このため、街中はお祭りで混んでいた。泊まるホテルが城壁内の旧市内中心部にあるマヨル広場に近いところにあるため、ホテルの前の通りは露天店などが出ていてホテルの玄関口に直接バスが入れない状況であった。このため、途中から人混みを分けてホテルまで歩いて行くことになる。
夜になると、花火が上がったり、広場で遅くまでホテルまで聞こえて来るような音楽を鳴らしていた。
ルーゴにはローマ人が造った世界遺産の城壁が旧市内を囲っている。薄黒い色のスレイトの石板と花崗岩が高さ12m程度まで層を成して積み上げられている。あくまで、ケルト的な造りをなしている。 同じローマ人が造った南フランスの城壁から推測して、もう少し垢抜けしているかと期待していたのだが、全然異なった形式だった。
城壁の上部は幅4.5~7mぐらいの幅があり、一周約2kmを無料で歩けるようになっている。上からは市内の建物、大聖堂、車、それに学校の子供の様子などを眺めることができる。このため、散歩をしている方が多い。
(なお、ルーゴの南東約52kmのところに、難所セブレイロ峠がある。)

(ルーゴの朝明け)
ホテルのレストラン内に、ピカソ風の図柄の磁器があった。ガリシアの有名なサンガデロスの磁器らしい。このため、次の日の出発前にみんなで陶器店に寄ってみる。白地に藍色のデザインが特徴のようだ。しかし、目当てのピカソ風の磁器はなかった。
ルーゴの郊外から歩きはじめる。これ以後は、サンチャゴ・デ・コンポステーラまで続けて歩くことになる。ガリシアに入ったら、ホタテ貝の入った道標のホタテの開いたほうがサンチャゴ・デ・コンポステーラ方向へと アストゥリアスの時と180度向きを変える。 州が変われば、ホタテ貝の向きが変わるらしい。歩くものにとって混乱の基のような気がする。このためか、黄色い矢印もペンキで描いてある。
道端には、栗、リンゴ、西洋梨、ぶどう、キノコなど、秋の味覚がそのまま生っている。木に実っているリンゴはストックで叩き落としてかじりながら歩く。ただし、手を掛けていないようで実は小さい。(長野近辺で信州リンゴが10cm以上に赤く木いっぱいに実っているのはスペインから見ると驚異的だ。) 栗や西洋梨もかじる。丘に近い山を通過したところで、一日の行程を終える。非常に幸いなことに、以後お天気が快晴のまま続く。
次の日は、前日の高原のような山村から出発となり,「フランス人の道」との合流部 メリーデに向かう。農村風景からメリーデに近づくにつれて、建物が多くなり街中風に様子が変わってゆく。メリーデに着くと、「フランス人の道」を歩いて難所セブレイロ峠を越えてきた巡礼者たちに出会う。
しかし、われわれのメリーデでのお目当ては、プルポ たこ料理だ。メリーデに行ったらプルポと騒いでいた甲斐があったのか、事前に準備されていたかは分からないけれど、この日の昼食はプルポとなった。
たこ料理店の前に行くと、「おいしいよ」とばかりに、店頭でたこを広げて見せてくれる。たこ料理は外から見える店先で調理をしている。
釜から茹でた たこを引き上げて、台の上でたこの足をはさみで切りながら皿に盛り付けている。まな板と包丁は使っていない。皿は木造りで、たこを置く内側の外に山形をした縁が付いて、その外側に溝が彫ってある。切り込んだたこの足の上に、塩、赤いとうがらしを振りかけて、その上からオリーブオイルをドボと掛けて出来上がりとなる。
皿に山形の縁と溝があるのは、中のオリーブオイルが外に直接こぼれないように工夫されているのだろう。
たこの頭はどうするかとの質問には、捨てるそうだ。頭を集めた容器の底を見せてくれた。もったいないことするものだと思ったが。
店内で食べたプルポは、軟らかくておいしい。楊枝が用意されていて、一個一個つまんで食べるのだが、フォークで突いたほうが早い。
メリーデからは、「フランス人の道」をサンチャゴ・デ・コンポステーラまで進むことになる。とはいっても、後53km程度しかない。ただし、メリーデでは、中心部の交差点から教会側に向けて歩いて、すぐに左側への黄色い矢印に沿って住宅地内へ曲がるのだが、分かりにくいので手間取ってしまう。
この時の宿泊地は、メリーデと次の大きな街アルスーアとの中間にあるパソ(PAZO), ガリシア地方の大邸宅を宿泊できるように改築した建物になる。牧草地のなかにある静かな宿泊地である。
結局、この日はバスを振り切って、起伏が少ないのでパソまで歩いて行くことになった。
到着したら、屋外でただちに「サルー 乾杯」となった。
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高床式倉庫
オビエドのあるアストゥリアスから道沿いによく見るのが、じゃがいもとかトウモロコシなどを保存するスペイン版高床式倉庫(オーレオ)。 しかし、ガリシアに入るとその形が異なってくる。
アストゥリアスでは、大きく正方形をなして、4本の円錐状の基礎の上に大きな平石が載せてある。これでネズミの侵入を防ぐネズミ返しの役割をなしている。その上に倉庫が建っている。倉庫の周りがベランダ風になっていて歩ける。また、屋根の上に尖がった石が立っているが、これはケルトの影響だそうだ。
一方、ガリシアに入ると、形が長方形になりスリム化する。幅の割りに高い。さらに、屋根に上には十字架が立っている。
「ガリシア人によると、冬厳しい山深いアストゥリアスでは、ガリシア以上に大量の作物を保管しなければならない」からだそうだ。
参考図書
中谷光月子 『サンティアゴ巡礼へ行こう!』 彩流社

夜になると、花火が上がったり、広場で遅くまでホテルまで聞こえて来るような音楽を鳴らしていた。
ルーゴにはローマ人が造った世界遺産の城壁が旧市内を囲っている。薄黒い色のスレイトの石板と花崗岩が高さ12m程度まで層を成して積み上げられている。あくまで、ケルト的な造りをなしている。 同じローマ人が造った南フランスの城壁から推測して、もう少し垢抜けしているかと期待していたのだが、全然異なった形式だった。
城壁の上部は幅4.5~7mぐらいの幅があり、一周約2kmを無料で歩けるようになっている。上からは市内の建物、大聖堂、車、それに学校の子供の様子などを眺めることができる。このため、散歩をしている方が多い。
(なお、ルーゴの南東約52kmのところに、難所セブレイロ峠がある。)
(ルーゴの朝明け)
しかし、われわれのメリーデでのお目当ては、プルポ たこ料理だ。メリーデに行ったらプルポと騒いでいた甲斐があったのか、事前に準備されていたかは分からないけれど、この日の昼食はプルポとなった。
たこ料理店の前に行くと、「おいしいよ」とばかりに、店頭でたこを広げて見せてくれる。たこ料理は外から見える店先で調理をしている。釜から茹でた たこを引き上げて、台の上でたこの足をはさみで切りながら皿に盛り付けている。まな板と包丁は使っていない。皿は木造りで、たこを置く内側の外に山形をした縁が付いて、その外側に溝が彫ってある。切り込んだたこの足の上に、塩、赤いとうがらしを振りかけて、その上からオリーブオイルをドボと掛けて出来上がりとなる。
皿に山形の縁と溝があるのは、中のオリーブオイルが外に直接こぼれないように工夫されているのだろう。
たこの頭はどうするかとの質問には、捨てるそうだ。頭を集めた容器の底を見せてくれた。もったいないことするものだと思ったが。
店内で食べたプルポは、軟らかくておいしい。楊枝が用意されていて、一個一個つまんで食べるのだが、フォークで突いたほうが早い。
到着したら、屋外でただちに「サルー 乾杯」となった。
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高床式倉庫
オビエドのあるアストゥリアスから道沿いによく見るのが、じゃがいもとかトウモロコシなどを保存するスペイン版高床式倉庫(オーレオ)。 しかし、ガリシアに入るとその形が異なってくる。
アストゥリアスでは、大きく正方形をなして、4本の円錐状の基礎の上に大きな平石が載せてある。これでネズミの侵入を防ぐネズミ返しの役割をなしている。その上に倉庫が建っている。倉庫の周りがベランダ風になっていて歩ける。また、屋根の上に尖がった石が立っているが、これはケルトの影響だそうだ。「ガリシア人によると、冬厳しい山深いアストゥリアスでは、ガリシア以上に大量の作物を保管しなければならない」からだそうだ。
参考図書
中谷光月子 『サンティアゴ巡礼へ行こう!』 彩流社
「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」 へ歩く(2)
2009年10月26日
09年10月26日月曜日
スペインの北部 オビエド(OVIEDO)に夜着き、ホテルに入りエレベーターに乗る。表示版を見るやっぱり1つボタンがない。「開ける」のボタンはあっても「閉める」のボタンはない。両方ある日本はせっかちに見える。それに、「0」が1階の出入り口に相当する。
夜の街にタパスを食べに出かける。休日前で店は一杯に混んでいる。やっと屋外の席に座る。そこで見たのは、地元特産のリンゴ酒(シードラsidra)を上からコップに注ぎ落として泡と良く混合させる入れ方。慣れないものが行えば、全部コップから溢す出してしまう注ぎかただ。タパスはイカの天ぷらなどが出る。


(サンタ・マリア・デ・ナランコ)
オビエドの北西郊外のナランコ山麓に、プレ・ロマネスク教会が2箇所あり訪ねる。
向かって右側にサンタ・マリア・デ・ナランコと200mほど離れて左側にサン・ミゲル・デ・リーニュがある。サンタ・マリア・デ・ナランコを見ると、ロマネスク様式の建築だと分かる。一般的にロマネスク様式は11世紀から12世紀前半に起こっている。けれども、これらの教会はロマネスク様式の200年前の9世紀半ば 848年にすでに建てられているところがすごい。このためプレ・ロマネスクと呼ばれているのだろう。天井もアーチを並べてかまぼこ型のトンネル形式、動物と兵士の柱頭、さらの正面上部の「X」印は、Xmasで表されるようにキリストを表現しているなどなど、後のロマネスクへ影響を与えたアストゥリアス建築を見学する。
オビエドには、カテドランがある。ここの奥まったところに聖遺物が納められている。その前にヤコブが杖にひょうたんを付けてホタテ貝を身に着けている彫刻がある。このため、カテドランは巡礼者が必ず訪れる場所となっている。 さらに、この街は内戦で戦闘の舞台となった場所だけに、大学構内の建物に銃弾の跡がたくさん残ったいる。また、市場内を通ったが、海が近いだけに魚が肉とともに豊富にならんでいる。市場内にケルトの民俗衣装と音楽が流れていた。
本番の「巡礼の道を歩く」が、オビエドの西郊外からはじまる。
二階の窓からの歓迎を受けて出発となる。農村部をつないで巡礼道である農道上を、周囲の風景を見ながら歩き続ける。地元のかたに「オラー!」と声をかけと、「オラー!」と返事が返ってくる。


昼食は同伴するバスに、バン、サラダの材料、水などを積んで行動の途中で簡易的に作る(サラダは勿論スペイン産オリーブ油入り)。昼食時をバルで取ると「スペインオムレツ」も付いてくる。

このような調子で歩くのだが、牛の放牧地内の農道上には乾燥した糞や時にやわらかいのが散らかっている。このため、絶えず足元の先を見て歩いていく。時に水たまりもあり、そこの個所は泥だらけの上に牛のものとのミックス状態だから、道の端を注意して足場を定めて進むしかない。
さらに、突然、騒々しい動物の鳴き声がする。そうすると、犬を先頭に羊の群れが道いっぱいに後ろから追い立てながら軍団で進んでくる。われわれは脇に逃げるしかない。
それにしても、このときはお天気がほどほどによかった。このような農道を雨のなかで歩くとなると、多分泥だらけだけではすまないだろう。
歩いていると、森のなかからバグパイプの鳴る音楽が聞こえてくる。何だろうかと段々近づくとケルト民俗衣装の男女が森のなかで、われわれが来るのを歓迎してくれる。
さらに、この日宿泊したのは4ッ星ホテルで、夕食に「イカ墨ご飯」がお代わり付きで出てくる。その上、隣の部屋で結婚披露宴をにぎやかに行っていて、われわれの食事中に花婿花嫁がお揃いで入ってきるなどのハプニングもあり、非常に楽しい日であった。
ルーゴに入る前に、標高差550mの峠越えがある。山というより丘陵地に近い放牧地地形を歩く。ここでも牛とか馬が放されている。このときは、天候がはっきりしなくて霧のなかを進む。昔は巡礼者がおおかみが出る山間部や雨や濃霧のなかを歩くのは、危険なことだっただろう。今でもここは雪が2m程度降るらしい。そのために、山腹の途中に、多分鐘を鳴らしていたであろう救護院の跡がある。
今回は先の道標が見える程度の霧のなかを歩いたけれど、巡礼者は全く見えないと霧のなかで方向を失う可能性があっただろうと推測する。
峠越えを終えると、バスでガリシアに入りルーゴに向かう。


(サンタ・マリア・デ・ナランコ)
オビエドの北西郊外のナランコ山麓に、プレ・ロマネスク教会が2箇所あり訪ねる。
向かって右側にサンタ・マリア・デ・ナランコと200mほど離れて左側にサン・ミゲル・デ・リーニュがある。サンタ・マリア・デ・ナランコを見ると、ロマネスク様式の建築だと分かる。一般的にロマネスク様式は11世紀から12世紀前半に起こっている。けれども、これらの教会はロマネスク様式の200年前の9世紀半ば 848年にすでに建てられているところがすごい。このためプレ・ロマネスクと呼ばれているのだろう。天井もアーチを並べてかまぼこ型のトンネル形式、動物と兵士の柱頭、さらの正面上部の「X」印は、Xmasで表されるようにキリストを表現しているなどなど、後のロマネスクへ影響を与えたアストゥリアス建築を見学する。
オビエドには、カテドランがある。ここの奥まったところに聖遺物が納められている。その前にヤコブが杖にひょうたんを付けてホタテ貝を身に着けている彫刻がある。このため、カテドランは巡礼者が必ず訪れる場所となっている。 さらに、この街は内戦で戦闘の舞台となった場所だけに、大学構内の建物に銃弾の跡がたくさん残ったいる。また、市場内を通ったが、海が近いだけに魚が肉とともに豊富にならんでいる。市場内にケルトの民俗衣装と音楽が流れていた。二階の窓からの歓迎を受けて出発となる。農村部をつないで巡礼道である農道上を、周囲の風景を見ながら歩き続ける。地元のかたに「オラー!」と声をかけと、「オラー!」と返事が返ってくる。
それにしても、このときはお天気がほどほどによかった。このような農道を雨のなかで歩くとなると、多分泥だらけだけではすまないだろう。
今回は先の道標が見える程度の霧のなかを歩いたけれど、巡礼者は全く見えないと霧のなかで方向を失う可能性があっただろうと推測する。
峠越えを終えると、バスでガリシアに入りルーゴに向かう。
「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」へ歩く(1)
2009年10月21日
09年10月21日 水曜日
スペインの北西部に位置する聖地「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」へ巡礼路130kmを歩いてみる。
聖地「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」へ向けて巡礼路の道中にあるバール、ホテル、教会などでスタンプを押してもらいながら100km以上歩けば、巡礼証明書「コンポステラーノ」を発行してくれる。このため、必要最低距離100kmに余裕をみて30km加算された最後の区間130kmを歩いて、「コンポステラーノ」をみんなで頂きましょうと、トレッキングツアーを専門とする会社が記念事業として今回はじめて企画していた。
先に結論を言えば、パエリャやスペインオムレツなどのおいしいスペイン料理を食べながら、スペインの農村風景や歴史を堪能してゆっくり歩く。
その上で、「コンポステラーノ」を頂くというおいしいとこ採りで、日頃からトレッキングや山登りに好きな女性のかたにとっては、興味あるツアーと思った。
(左は、今「コンポステラーノ」(右側の用紙)を頂きましたという時の写真、左側はスタンプを押す用紙)

歩くルートの最初は、一般に紹介されている「フランス人の道(カミノ・フランセス)」からでなく 北スペイン側の「オリジナルの道(カミノ・プリミティヴォ)」のオビエド(OVIEDO)からスタートする。
その後、南西部に進み世界遺産の城壁があるルーゴ(LUGO)を経由して、メリーデ(MELIDE)で「フランス人の道」に合流して有名なタコを食べる。その後は、「フランス人の道」に沿って聖地「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」まで歩く。(なお、最終的にバスで最西端部の「フィステーラ(FISTERRA)」まで行く。)
(上の地図で右側がオビエド、左側がサンティアゴ・デ・コンポステーラ。緑色線は歩く区間、青色線はバス移動の区間を表す)
オビエドから「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」までのルートを直接結ぶと250km程度となる。しかし、実際の行動は、歩くルートに沿って車道をバスが伴走していて、重たいスーツケースなどの荷物を運んでくれる。このため、一日分の行動に必要なもの、たとえば傘、防寒具、カメラなどを持って小型ザックに入れて歩くだけになる。行動の途中で時々バスと出会う。歩いていて不必要なものはバスに置いておける。逆に、必要なものはバスから取り出せる。
今回はなかったが、歩けない場合はバスで移動できる。また、車の往来が多いオビエドやルーゴの都市部や車道上での歩きは少なく、このような場所はバスで移動する。このため、実際の歩く道は、一部の峠越えを除いて割り合い平坦部が多い。ただし、牛が放牧されている農道内は、乾燥状態や生の糞が散乱している上を歩くことになる。
参加者は総勢20名弱である。そのうち、女性のかたが8割を占めていた。海外トレッキングに何度も行っているかた、イタリアなどのヨーロッパを一人で歩いているかた、日本全国の山々を登っているかた、四国の遍路を廻ったかたなどバラエティに富んでいる。女性のかたのなかに70歳代前半・後半と推定される元気なかたが数名おられた(確定値はできない)。どのかたも日頃より歩いておられるようだ。そうでないと、20km以上を毎日続けて歩けない。
全員落伍者なく130kmを歩いて「コンポステラーノ」を頂く。さらに幸運なことに、大聖堂内でミサと香炉ボタフメイロを見ることができた。堂内に響きわたるミサを聞いた時、やっと聖地「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」に来たと実感が沸く。
聖地「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」へ向けて巡礼路の道中にあるバール、ホテル、教会などでスタンプを押してもらいながら100km以上歩けば、巡礼証明書「コンポステラーノ」を発行してくれる。このため、必要最低距離100kmに余裕をみて30km加算された最後の区間130kmを歩いて、「コンポステラーノ」をみんなで頂きましょうと、トレッキングツアーを専門とする会社が記念事業として今回はじめて企画していた。
(左は、今「コンポステラーノ」(右側の用紙)を頂きましたという時の写真、左側はスタンプを押す用紙)
歩くルートの最初は、一般に紹介されている「フランス人の道(カミノ・フランセス)」からでなく 北スペイン側の「オリジナルの道(カミノ・プリミティヴォ)」のオビエド(OVIEDO)からスタートする。
(上の地図で右側がオビエド、左側がサンティアゴ・デ・コンポステーラ。緑色線は歩く区間、青色線はバス移動の区間を表す)
「地附山トレッキング」
2009年10月04日
09年10月 4日 日曜日

地附山公園入口の前に、「地附山トレッキング」の道案内板が立っている。
「地附山公園トレッキング」は、10月11日(日)にオープンされる。
地附山公園の植樹が紅葉する時期、と言っても もうすぐの今月末から来月上旬ごろにここを訪れるとすばらしい。
地附山公園の入口にゲートがある(開門時間 8時半~5時まで)。ここより急な車道(18%勾配)を登る。ほとんどが車で上がっているけれど、ここから長野市内の北部地域の展望をゆっくり見ながら登るのも楽しい。登るたびに陽や雲の様子で展望が変わる。
坂道の途中で、代金を箱に入れる無人のリンゴ販売所がある。後ろのリンゴ園で作られたリンゴだから甘みがちがう。
「地附山トレッキング」のスタート地点として、地附山公園の最上部南側に「地附山公園北口」がある。
ただし、鍵付きの柵扉が入口に設置されている。まだ、オープン前だからだろう。しかし、オープン後は、ここの開閉は開園時間に合わせられる可能性がある。それに、前が子供の遊び場になっているのに、「熊の出没注意」の表示がでているような場所のため、開いたままでないかもしれない。
「地附山公園北口」から地附山公園の背後の植樹帯のなかに入り登る。今はまだ緑色だが、紅葉で色付いた木々の間を登るのは気分もよいだろう。さらに、長野市内が真下にみる。
山の上の方に行けば、円形古墳、前方後円墳や桝形城跡が松林のなかにある。案内板も要所に立ってあるので、道は分かりやすい。ただし、道がたくさん入り組んで迷路じみているので、コース案内書を持っていたほうがよい。(道に迷っているうちに
熊でも会うかもしれない。実際、コース内の道途中に野生動物の糞があった。)
最上部にある旧バードラインを歩く。旧車道のため、路面が舗装されている上に広い。旧バードライン上の紅葉もよさそうだ。旧バードラインから、飯綱山が直接見えないの。葉っぱが落ちて枝だけの時期なら見えるだろうが。
でも、何とかして飯綱山が見えないだようかと探して写す。(左写真)
地附山公園の植樹帯の真上に見晴らしのよい平な道がある。ここからの展望は、また一段と上のほうから長野市街地を眺めるのですばらしい。
リンゴを何個か持って、地附山公園の上から長野市内の展望を眺めながらかじるのもよい。ただし、ここへは、「地附山公園北口」から直接登れない。駒弓神社から急な坂を登って行くか、「北口」から登って山を一回りして行くしかないので休憩地にもなる。
トレッキングコースが出来たため、今後、地附山公園の植樹帯のなかを歩けるだけでも楽しみが増す。
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(昨年の地附山公園の紅葉)
「地附山公園トレッキング」は、10月11日(日)にオープンされる。
地附山公園の植樹が紅葉する時期、と言っても もうすぐの今月末から来月上旬ごろにここを訪れるとすばらしい。
坂道の途中で、代金を箱に入れる無人のリンゴ販売所がある。後ろのリンゴ園で作られたリンゴだから甘みがちがう。
「地附山公園北口」から地附山公園の背後の植樹帯のなかに入り登る。今はまだ緑色だが、紅葉で色付いた木々の間を登るのは気分もよいだろう。さらに、長野市内が真下にみる。
山の上の方に行けば、円形古墳、前方後円墳や桝形城跡が松林のなかにある。案内板も要所に立ってあるので、道は分かりやすい。ただし、道がたくさん入り組んで迷路じみているので、コース案内書を持っていたほうがよい。(道に迷っているうちに
熊でも会うかもしれない。実際、コース内の道途中に野生動物の糞があった。)
リンゴを何個か持って、地附山公園の上から長野市内の展望を眺めながらかじるのもよい。ただし、ここへは、「地附山公園北口」から直接登れない。駒弓神社から急な坂を登って行くか、「北口」から登って山を一回りして行くしかないので休憩地にもなる。
トレッキングコースが出来たため、今後、地附山公園の植樹帯のなかを歩けるだけでも楽しみが増す。
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(昨年の地附山公園の紅葉)
「飯綱山頂上へ」
2009年09月25日
09年 9月25日 金曜日

長野市内から見える飯綱山の頂上は、善光寺から平面的に 約13km程度しかない。ただし、善光寺から歩いて行くと飯綱高原までは緩やかな登り坂、その先の飯綱山登山道は急勾配で岩が多い。善光寺から飯綱山頂上まで行くと約6時間掛かる。しかし、玄関先から飯綱山の頂が結ばれることになるので、長野市内から飯綱山を見るたびに充実感がある。さらに、里山を楽しみながら安上がりなダイエット方法でもある。
善光寺から西長野の隣、新諏訪の山側に入ると静松寺へ行く戸隠古道がある。静松寺までの道の脇を33の石仏が案内してくれる。静松寺から県道に出て鑪(たたら)に向かう。
鑪(たたら)の三叉路に「戸隠奥社入口」左矢印の道標が立っているが、無視してまっすぐ進むと芋井郵便局(〒)が見えてくる(左写真の右側 だいだい色の立看板が郵便局)。飯綱高原の一の鳥居へ行くには、郵便局の手前の坂を下るコースもある(別途参照)が、今回は郵便局前をそのまま進み神代桜がある泉平の集落に向かう。
途中から飯綱山頂上が芋井の傾斜地の遠方に見えてくるので、目的地が定めやすい(左写真 右側遠方)。泉平へ行く道沿いはリンゴ畑が多く、赤くなりつつあるリンゴがたくさん実っている。
泉平で休んでいると、おじさんから「どこまで行くの?」と問われる。「飯綱山の頂上です!」と話をしていたらリンゴをくれた。折角頂いたリンゴなので頂上まで運び上げることにする。期待はしないが、歩いているとこのような副産物がある(ありがとうございました)。
泉平集落の左側で、神代桜より後ろ側に沢がありそこに庚申塔が建っている。ここにコンクリート舗装の山道がある。この舗装されている山道を登ると旧一の鳥居線の分岐にでる。この山道はかなりの近道になる(2万5000分の地形図 「素桜神社」の表示横に黒い線で記入されている)。
このあと、旧一の鳥居線に沿って登ると、道はバードラインの下を通過して、バードラインの北側に廻る。飯綱山がそば畑越に真近に見えてくる。
そのまま道沿いに進むと大座法師池前の交差点に出る。 大体、ここまで3時間ぐらいで来る。
大座法師池まで来れば、コンビニがあるのでここで休憩と食料調達の確認をする(ただし、特に休日のコンビニ食料棚は空の可能性が高い)。そのあと、バードラインに沿って大谷地湿原脇を通過すると、「戸隠古道」の案内が出ている。このなかに入り一の鳥居の別荘地を通過して飯綱山の登山口の鳥居に向かう。大座法師池から休憩その他も含んで1時間ぐらいで来る。
あとは、飯綱山頂上目指してまっすぐ登るのみとなる。頂上まで大体2時間程度掛かる。この登り道は岩がごろごろしている上に、上り下りの人が多い。狭い登山道上で絶えず登山者と交差する。一番困るのは団体の下る登山者たちとの交差。狭い登山道上に数珠つながりに詰めて並んでいるので、場所を取られ登るスペースが更に狭くなる。

頂上までリンゴを運ぶ。山頂では休んでいる人も多い。それにお天気がよく長野方向などの視界もよい。紅葉にはまだ早いけれど、一部色付いているところもあるので、もうすぐだ。
帰りは分岐点から右側の「戸隠中社方面」を下る。「戸隠中社方面」は勾配が相対的に緩やかで、地面が土で森林帯のなかを通過する。(ただし、部分的に岩の急勾配個所もある)。 さらに、上り下りの登山者が少ないので歩きやすい。こちらがお薦めコースになる。
「戸隠中社方面」で下りて来ると、中社の「チビッ子忍者村」と「神告げ温泉」前を通過する。これらに行く車が中社前からずっと並んでいるのに出会う。休日の「チビッ子忍者村」は超人気のようだ。ただし、ここの道は一旦車の列に入ると抜けられないような狭い袋小路だ。
歩いているものにとっては、バス時間のほうが気になる。10分ぐらいで長野行きがあり満員のバスに乗る。
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(別ルート)
郵便局の手前に「すべり止め用塩カル」のボックスがある。この手前の坂を下る。そのまま道に沿って県道を2箇所横断して、道標に沿って平公民館まで進む。公民館の手前を直角に曲がりそのまま道なりに進む。軍足の入口を過ぎれば、道標がある左側の杉林のほうに入っていく。進むと一の鳥居手前のバードラインに出る。なお、こちらは大座法師池を経由しない。
●2万5000分の1 地形図(若槻)

長野市内から見える飯綱山の頂上は、善光寺から平面的に 約13km程度しかない。ただし、善光寺から歩いて行くと飯綱高原までは緩やかな登り坂、その先の飯綱山登山道は急勾配で岩が多い。善光寺から飯綱山頂上まで行くと約6時間掛かる。しかし、玄関先から飯綱山の頂が結ばれることになるので、長野市内から飯綱山を見るたびに充実感がある。さらに、里山を楽しみながら安上がりなダイエット方法でもある。
泉平集落の左側で、神代桜より後ろ側に沢がありそこに庚申塔が建っている。ここにコンクリート舗装の山道がある。この舗装されている山道を登ると旧一の鳥居線の分岐にでる。この山道はかなりの近道になる(2万5000分の地形図 「素桜神社」の表示横に黒い線で記入されている)。
帰りは分岐点から右側の「戸隠中社方面」を下る。「戸隠中社方面」は勾配が相対的に緩やかで、地面が土で森林帯のなかを通過する。(ただし、部分的に岩の急勾配個所もある)。 さらに、上り下りの登山者が少ないので歩きやすい。こちらがお薦めコースになる。
歩いているものにとっては、バス時間のほうが気になる。10分ぐらいで長野行きがあり満員のバスに乗る。
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(別ルート)
郵便局の手前に「すべり止め用塩カル」のボックスがある。この手前の坂を下る。そのまま道に沿って県道を2箇所横断して、道標に沿って平公民館まで進む。公民館の手前を直角に曲がりそのまま道なりに進む。軍足の入口を過ぎれば、道標がある左側の杉林のほうに入っていく。進むと一の鳥居手前のバードラインに出る。なお、こちらは大座法師池を経由しない。
●2万5000分の1 地形図(若槻)
「戸隠への農村風景」
2009年09月22日
09年 9月22日 火曜日

(飯綱山)

(飯綱山の左側に戸隠連山が見られる)
戸隠の奥社と善光寺との間は約20kmぐらいある。このため、戸隠は長野から歩いていける範囲内にあり交通費は片道分だけあればよい。
それに行く途中で茂菅の赤くなったりんご、戸隠の白いそば畑や黄色い稲穂の田などを見ながら農村を歩いてみると、いろいろな変化に富んだ風景が現れてくる。
戸隠の田園から見ると東側に、なだらかな裾野を持つ飯綱山(冒頭写真)と、西側に好対照的に凸凹した屏風のように立っている戸隠連山(左写真)が黄色の稲田や白いそば畑越に一望に見えるのがすばらしい。

それに、農村を歩けば、畑にどんな野菜や果物を作ってあるか、直接見ることもできる。
観光的な中社と奥社にも行って見たけれど、こちらは人や車が多く農村と全く雰囲気が異なる。 奥社へは県道から約2kmぐらい入ったところにあり、杉並木のなかを平坦な砂利道を歩いてゆくが最後のところで石段の上りになっている。
歩いてみて、飯山の小菅神社奥社への道は改めてすごいと思った。戸隠と同じ杉並木のなかを幅2.0mぐらいの石段が、奥社への入口から延長600mぐらいずっと敷き詰めてある。小菅は戸隠のような平坦さはない。
戸隠といえば、そば、神社、忍者など観光的に宣伝されているけれど、飯綱山や戸隠山が全面に見える観光的でない農村を歩いてみるもよい。農村は行って見て初めて知る風景や食べ物・人の発見がある。

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小菅神社奥社への石段
(飯綱山)
(飯綱山の左側に戸隠連山が見られる)
歩いてみて、飯山の小菅神社奥社への道は改めてすごいと思った。戸隠と同じ杉並木のなかを幅2.0mぐらいの石段が、奥社への入口から延長600mぐらいずっと敷き詰めてある。小菅は戸隠のような平坦さはない。
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「10000人の写真展」2009
2009年09月17日
09年 9月17日 木曜日

「10000人の写真展」2009 長野会場が、本日(17日)から23日(水)まで もんぜんぷら座 で開けれています。
早速、初日の開店時に行って見たら展示準備中でした。(昼前から完全に見られるそうです。)
御開帳の写真、友達の写真、風景写真などジャンルを問わない写真が、バラバラにたくさん展示されているのが面白い。また、写真の下に出展者がコメントを書かれているので、写真に対してのそれぞれの思いが伝わってくる。
特に、家族の顔を大きく出した写真は目立ちます。(写真数が多いだけに、目立たせる工夫も必要ですが。)
昨年も開催されましたけれど、今年のほうがよい写真が多いと感じました。
早速、初日の開店時に行って見たら展示準備中でした。(昼前から完全に見られるそうです。)
御開帳の写真、友達の写真、風景写真などジャンルを問わない写真が、バラバラにたくさん展示されているのが面白い。また、写真の下に出展者がコメントを書かれているので、写真に対してのそれぞれの思いが伝わってくる。
特に、家族の顔を大きく出した写真は目立ちます。(写真数が多いだけに、目立たせる工夫も必要ですが。)
昨年も開催されましたけれど、今年のほうがよい写真が多いと感じました。
「雁木通り」
2009年09月08日
09年 9月 8日 火曜日

●糸魚川に 「雁木通り(ありがたや通り」がある。
駅から、海岸方向にヒスイロードを約200mほど行くと、左側に「町並みの景観と特色あるまちづくり」として、平成6年に約300mの道路両側に、雁木が新しく造られた。
この通りで目に付いたのが、歩道の雁木上に建物の二階が張り出ている。また、母屋の上の屋根(大屋根)が歩道上の空間まで飛び出ている個所がある。
雁木がある歩道は民地なの?官地(公共の土地)なの?また、雁木の建物は誰のもの、と疑問が湧く。
なお、歩道が建物のなかに組込まれて、雁木と住宅部が一体化している形式を「造り込み式雁木」、建物の前から庇が出て、雁木と住宅部が別々の形式を「落し式雁木」という。(図は、『高田まちなみ歴史散歩』による)
聞いた結果、歩道・建物とも民地だそうだ。
このため、雁木の上に住宅が張り出すことが可能になる。
また、「塩の道 白馬通り」も雁木の通路が道路の両側に出来ている(左写真)。ここでもやはり歩道と雁木は民地と言われた。
道路元標がある交差部に近いところで、雁木の通路が閉じられて中を通行できない個所がある。雁木の下を通ってそのまま行くと、通路でなく店の入口にちょうど入るように出来ている個所がある(右写真)。
●上越の高田は、雁木でも有名なところ。
観光案内所で聞けば、「高田の雁木は約16kmあり、全部歩くに4時間掛かる」といわれる。「日本一長い雁木の通りであり、「ゆずり会い・助け合い」の心が形になった文化遺産」と、『高田まちなみ歴史散歩』に書いてある。
城を模した高田駅を出るとすぐに新しい雁木形式の屋根付き歩道が、城壁内の廊下を歩くようにつづく。
高田の雁木は「落し式雁木」が多い。
「造り込み式雁木」のほうが物置や使用人の部屋などに、土地の有効利用ができでよい。しかし、この形式では武士が雁木内を通るときその頭上に住むことは具合が悪い。そのため、「落し式雁木」が多いとか。
『高田まちなみ歴史散歩』に次のように書いてある。
「明治以降になって本2階建ての町家が普及すると、表2階の採光と通風を確保するために、平屋の雁木を主に付け足す形の「落し式雁木」の形態が主流となってきました。雁木自体は主屋にくらべて傷みが早いので、軽微な造りで容易な改修ができるようにとの工夫と考えられます」
修理など維持の面からは「落し式雁木」のほうが雁木だけ直せばよいので経済的である。「造り込み式雁木」だと、上部の住宅から直さなければならない。
さらに高田の特徴として、雁木から上の屋根(大屋根)にハシゴを掛けてある住宅を多く見る。大屋根の雪下ろし用に登れるようにするためだろう。
高田の雁木でも糸魚川と同じ質問をしてみた。ここでも歩道と雁木の建物は民地だそうだ。このため、雁木はその住宅ごとに形が異なっている。また、歩道や雁木所有のため、税金を支払っておられるとか!
●飯山にも雁木通りがある。
駅前をまっすぐ約350mほど行くと左側に飯山郵便局がある。この前の通り「飯山街道」に約900mに渡って雁木通りがある。しかし、道路に消雪パイプが埋設されている。また、新しい住宅は雁木を設けていない。などで、以前の雁木通りの面影は歯抜け状態になり古い住宅の前の雁木だけが点々と残っている。
一方、飯山駅から北飯山方向に向けて左側に折れ踏切を渡ると、愛宕町のメインストリート、通称「仏壇通り」がある。ここに新しい雁木通りが出来ている。
ここの通りは11の仏壇店が集まっている全国でも珍しい個所。正面が直な商店のビル建築が多く、雁木は木造で内空が高い。
ここでも、雁木の所有について聞いてみる。その結果、道路と雁木の建物は、官のもので、管理は地元で行っているそうだ。糸魚川や高田での所有と異なっている。
●雁木の下は人が一人歩ける程度の幅しかない。それだけに、店や住宅と通行人のあいだが非常に近い。夕方になると、店にライトが付き内部の様子が浮かんでくる。店で売られている品物、それに店員さんや職人さんの動きが外から見える。雁木は狭く天井のある小さな空間だけに、通行人と住宅や店との身近さが感じられる場所だ。
「雁木は冬に見た方がよく、雪降ろしの様子も分かる」と教えてくれる。次回はそうしよう。
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参考:『高田まちなみ歴史散歩』
雁木のルート図が載っている。

●糸魚川に 「雁木通り(ありがたや通り」がある。
駅から、海岸方向にヒスイロードを約200mほど行くと、左側に「町並みの景観と特色あるまちづくり」として、平成6年に約300mの道路両側に、雁木が新しく造られた。
この通りで目に付いたのが、歩道の雁木上に建物の二階が張り出ている。また、母屋の上の屋根(大屋根)が歩道上の空間まで飛び出ている個所がある。雁木がある歩道は民地なの?官地(公共の土地)なの?また、雁木の建物は誰のもの、と疑問が湧く。
なお、歩道が建物のなかに組込まれて、雁木と住宅部が一体化している形式を「造り込み式雁木」、建物の前から庇が出て、雁木と住宅部が別々の形式を「落し式雁木」という。(図は、『高田まちなみ歴史散歩』による)
聞いた結果、歩道・建物とも民地だそうだ。
このため、雁木の上に住宅が張り出すことが可能になる。
また、「塩の道 白馬通り」も雁木の通路が道路の両側に出来ている(左写真)。ここでもやはり歩道と雁木は民地と言われた。道路元標がある交差部に近いところで、雁木の通路が閉じられて中を通行できない個所がある。雁木の下を通ってそのまま行くと、通路でなく店の入口にちょうど入るように出来ている個所がある(右写真)。
●上越の高田は、雁木でも有名なところ。
城を模した高田駅を出るとすぐに新しい雁木形式の屋根付き歩道が、城壁内の廊下を歩くようにつづく。
高田の雁木は「落し式雁木」が多い。
「造り込み式雁木」のほうが物置や使用人の部屋などに、土地の有効利用ができでよい。しかし、この形式では武士が雁木内を通るときその頭上に住むことは具合が悪い。そのため、「落し式雁木」が多いとか。
『高田まちなみ歴史散歩』に次のように書いてある。「明治以降になって本2階建ての町家が普及すると、表2階の採光と通風を確保するために、平屋の雁木を主に付け足す形の「落し式雁木」の形態が主流となってきました。雁木自体は主屋にくらべて傷みが早いので、軽微な造りで容易な改修ができるようにとの工夫と考えられます」
修理など維持の面からは「落し式雁木」のほうが雁木だけ直せばよいので経済的である。「造り込み式雁木」だと、上部の住宅から直さなければならない。
高田の雁木でも糸魚川と同じ質問をしてみた。ここでも歩道と雁木の建物は民地だそうだ。このため、雁木はその住宅ごとに形が異なっている。また、歩道や雁木所有のため、税金を支払っておられるとか!
●飯山にも雁木通りがある。
一方、飯山駅から北飯山方向に向けて左側に折れ踏切を渡ると、愛宕町のメインストリート、通称「仏壇通り」がある。ここに新しい雁木通りが出来ている。ここの通りは11の仏壇店が集まっている全国でも珍しい個所。正面が直な商店のビル建築が多く、雁木は木造で内空が高い。
ここでも、雁木の所有について聞いてみる。その結果、道路と雁木の建物は、官のもので、管理は地元で行っているそうだ。糸魚川や高田での所有と異なっている。
「雁木は冬に見た方がよく、雪降ろしの様子も分かる」と教えてくれる。次回はそうしよう。
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参考:『高田まちなみ歴史散歩』
雁木のルート図が載っている。
千国街道(大網-糸魚川)(10最終)
2009年08月31日
09年 8月31日 月曜日

(大網峠のブナ林)
「大網」から影絵の天飾山を東に見ながら大網峠を越えて、一挙に糸魚川へと向かう。
石仏群を通過すると、「芝原の六地蔵」がかわいく赤く着飾って、個性的に並んでいる。
道は下り方向になるが、石の道を沢水が流れているので歩きにくい。林道に出会うと「下清水・茶屋跡」の道標が立っている。案内板に「熊に注意!!」の注意書きが張ってある。右側に砂防ダムが見える木橋を渡ると、「横川の吊り橋」に出る。この吊橋は狭く慎重に渡るしかない。
「横川の吊り橋」から「菊の花地蔵」まで高さ約300mを、沢を横断しながら右に左にジグザクと登ってゆく。千国街道のなかで一番急な坂道となる。岩盤のところが滝になっている。この岩盤上部まで登り沢を横断するところが「牛の水飲み場」にあたる。牛が水を飲みやすいようにか、岩盤に窪みが見られる。
「菊の花地蔵」が杉の下にちょこっと座っているところまで登ってくれば、この先は緩やかな上り勾配となる。「茶屋跡」「屋敷跡」などを通過すると、左右の両斜面にブナの原生林が生え、V字状の長い沢を登ってゆく。斜面上のブナの根っこが曲がり上の幹がまっすぐに立ち上っている。片面の斜面だけだと他にも見られるけれど、両側斜面に対称的に曲がったブナが見られるは珍しい。(冒頭写真)
沢の一番高い端部まで来て右に回り登ると、さっと風が吹きそのなかに冷たさが混じっている。信州の風と違うと感じていたら、そこが「大網峠」である。 「大網峠」には、信州側から「大網峠 千国街道」(写真左)、糸魚川側から「塩の道 国史跡 松本街道」(中央)、それに「大網峠」(右)の名が入った3本の道標がそれぞれの側に並んで立っている。
峠を下ると、青い池が見えてくる。「角間池」である。山のなかの静かできれいな池だ。紅葉時はもっときれいだろう。池の縁に自然環境保全地域の表示板が立っている。下に「長野県・小谷村」と書かれているので、このあたりは長野県なのであろう。
さらに、下ると「右松本街道大網 左中谷道横川」の角間池下道標が建っている。その横に熊にかじられた?「塩の道 松本街道」の道標が並んでいる。が、「松本街道」のところは板で貼り付けてある。ここはまだ長野県内とは言え、もう千国街道でなくなったからであろう。
下から鈴の音がするので待っていると、中学生が10名ほど登ってくる。聞けば大網まで逆に行くそうだ。
下ると「白池」に着く。ここでは「塩の道 糸魚川市」の道標が立っている。池の縁に鐘があり、ときどき鳴っている。また、「ボッカ宿跡」の基礎部分が掘り出されている。ここからの下りは、草も刈られ道も整備されているのでどんどん下る。何しろ、山口まで3.2kmもある長い下り道になる。途中に「ヒナタ茶屋跡」、杉の大木の下に「大ザイの神」などがある。
「山口」に入ってちょうどお昼になる。「白池地蔵」「山口関所跡碑」が建っている。「塩の道資料館」があるが残念ながら月曜日はお休みにあたる。集落を下ると左側にスキー場が見える。
スキー場へ入る所に臨時のバス停がある。その奥にレストハウスと温泉場が2棟並んでいる。ここが糸魚川へ向けての「塩の道」の入口になる。進むと、左側がレストハウスでそばなどを出している。安くないが、小谷の「道の駅」から糸魚川までの中間で食事できる所はここしかない?。 右側が「塩の道」になり、小さな白い石の道標が道脇に建っている。
山口から糸魚川へ向けてのルート図は『塩の道 千国街道 古道案内-歩く人のために-』による。しかし、一部変わっている個所がある。
「和泉」の車道に沿ってから北方向の「仁王堂」に根知川を渡って行くのだが、本に書かれているルート上の橋は今はない。代わりに、根知小学校前を通過する道路が新しく出来て、元の橋より上流側に橋(東橋)が架かっている。この橋を渡るよう先線の仁王堂前にルート図が掲げてある。糸魚川から来れば分かるのだが、逆ルートの場合、仁王堂に来て初めて知ることになる。(なお、山口に案内板があるが旧ルートのままになっている。)
仁王堂から坂道になり、車道を中山峠へと向かう。中山峠より旧道へ入り道がU字形になっている「ウトウ」を通過する。途中に鉄塔が2個所あるので、通過位置を確認できる。
きれいな杉林を通過した後、大野の集落にでる。右側で大糸線の音がする。さらに進むと「左ハ志ん志やう」「右ハ井ノ口村入」の大野道標が立っている。小学校のところを右に曲がり大糸線の踏切を横断して左折する。
大糸線「くびきおおの」付近で山側に道が右折して、「下村石造物群」を経て林道下山線に入るのだが、北側にまっすぐな新しい道ができているので右折する入口が分かりずらい。(道標はない。) 電気屋さんのところを上がると石造物群があり、さらに牛舎がある手前に「林道下山線」の看板が出ている。 この林道を進むと、広域農道に出会い、横断して山道を行くと青銅の「ボッカ像」が立つ美山公園内に入る。この公園を通過して高速道の上を越えると、いよいよ糸魚川の市街地に入りまっすぐ下って行く。
市街地内は単純なルートでなく鉤形に凸凹している。日用品の店前を右側に折れ神社前で左折してまっすぐ進むと突き当たる(写真個所)。右に折れて左に曲がると新幹線の工事脇の道路に出るコの字道路になっている。さらに左に折れると踏切に出る。
踏切を越えると、千国街道の最終通り「白馬通り」になる。通りには「塩の道 白馬通り」と書かれた街灯が立っている。日本海へはこの通りをまっすぐ行くだけになる。 右側にある「経王寺」の裏側に、塩問屋の中村五兵衛の墓がある。また、左側の「西性寺」に牛つなぎ石もある。さらに、加賀街道(本町通り)との交差部に小さな「道路元標」が建っている。

白馬通りをまっすぐ進むと千国街道の最終点、といっても糸魚川からでは「塩の道起点」に着く。松本から千国街道30里(120km)の地点だ。その先に国道8号線とテトラポットの日本海。 さらに、糸魚川港の灯台が見える。
着いたのは5時半過ぎ。予定より少し遅れたが6時過ぎの直江津行きの電車がある。10月から始まる紅葉がすばらしいと小谷で言っていたことを思い出しながら糸魚川駅に向う。 (終わり)
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■参考図書
●『千国街道 塩の道紀行』小谷村観光連盟のパンフレット
●『塩の道 千国街道 古道案内-歩く人のために-』 白馬小谷研究社
●『山里のきずな 小谷村大網に生きる』 信濃毎日新聞 平成21年5月出版
●『信州白馬山麓 小谷の本』 ほおずき書籍
●『塩の道を歩く』 文=田中欣一 写真=田北圭一 信濃毎日新聞社
●「塩」の本・「塩の道」の本
糸魚川市民図書館
「これを全部読めば、あなたは「塩の道博士」(?!)」と出ている。
■参考サイト
●小谷塩の道案内
各コースのなかで、国土地理院25000分の1地形図にルートが表示されている。
●信州小谷村観光
●古道 塩の道
こちらも各コース別に、ルートが表示されている。
●国土地理院 25000分の1地形図(越後大野)
糸魚川市内の地図で、駅の南西にある「新鉄ニ丁目」の「新」の部分が、コの字道路。
糸魚川駅構内にあるレンガ造りの車庫は、新幹線工事で撤去されるようです。見られるのは今のうちだけ!。大糸線の乗り場に、気動車3輌(全所有車両か?)がそろって車庫に納まっている写真が展示されている。
(糸魚川駅 構内)

(大網峠のブナ林)
道は下り方向になるが、石の道を沢水が流れているので歩きにくい。林道に出会うと「下清水・茶屋跡」の道標が立っている。案内板に「熊に注意!!」の注意書きが張ってある。右側に砂防ダムが見える木橋を渡ると、「横川の吊り橋」に出る。この吊橋は狭く慎重に渡るしかない。
「横川の吊り橋」から「菊の花地蔵」まで高さ約300mを、沢を横断しながら右に左にジグザクと登ってゆく。千国街道のなかで一番急な坂道となる。岩盤のところが滝になっている。この岩盤上部まで登り沢を横断するところが「牛の水飲み場」にあたる。牛が水を飲みやすいようにか、岩盤に窪みが見られる。
沢の一番高い端部まで来て右に回り登ると、さっと風が吹きそのなかに冷たさが混じっている。信州の風と違うと感じていたら、そこが「大網峠」である。 「大網峠」には、信州側から「大網峠 千国街道」(写真左)、糸魚川側から「塩の道 国史跡 松本街道」(中央)、それに「大網峠」(右)の名が入った3本の道標がそれぞれの側に並んで立っている。
さらに、下ると「右松本街道大網 左中谷道横川」の角間池下道標が建っている。その横に熊にかじられた?「塩の道 松本街道」の道標が並んでいる。が、「松本街道」のところは板で貼り付けてある。ここはまだ長野県内とは言え、もう千国街道でなくなったからであろう。下から鈴の音がするので待っていると、中学生が10名ほど登ってくる。聞けば大網まで逆に行くそうだ。
「山口」に入ってちょうどお昼になる。「白池地蔵」「山口関所跡碑」が建っている。「塩の道資料館」があるが残念ながら月曜日はお休みにあたる。集落を下ると左側にスキー場が見える。
スキー場へ入る所に臨時のバス停がある。その奥にレストハウスと温泉場が2棟並んでいる。ここが糸魚川へ向けての「塩の道」の入口になる。進むと、左側がレストハウスでそばなどを出している。安くないが、小谷の「道の駅」から糸魚川までの中間で食事できる所はここしかない?。 右側が「塩の道」になり、小さな白い石の道標が道脇に建っている。山口から糸魚川へ向けてのルート図は『塩の道 千国街道 古道案内-歩く人のために-』による。しかし、一部変わっている個所がある。
「和泉」の車道に沿ってから北方向の「仁王堂」に根知川を渡って行くのだが、本に書かれているルート上の橋は今はない。代わりに、根知小学校前を通過する道路が新しく出来て、元の橋より上流側に橋(東橋)が架かっている。この橋を渡るよう先線の仁王堂前にルート図が掲げてある。糸魚川から来れば分かるのだが、逆ルートの場合、仁王堂に来て初めて知ることになる。(なお、山口に案内板があるが旧ルートのままになっている。)きれいな杉林を通過した後、大野の集落にでる。右側で大糸線の音がする。さらに進むと「左ハ志ん志やう」「右ハ井ノ口村入」の大野道標が立っている。小学校のところを右に曲がり大糸線の踏切を横断して左折する。
踏切を越えると、千国街道の最終通り「白馬通り」になる。通りには「塩の道 白馬通り」と書かれた街灯が立っている。日本海へはこの通りをまっすぐ行くだけになる。 右側にある「経王寺」の裏側に、塩問屋の中村五兵衛の墓がある。また、左側の「西性寺」に牛つなぎ石もある。さらに、加賀街道(本町通り)との交差部に小さな「道路元標」が建っている。
白馬通りをまっすぐ進むと千国街道の最終点、といっても糸魚川からでは「塩の道起点」に着く。松本から千国街道30里(120km)の地点だ。その先に国道8号線とテトラポットの日本海。 さらに、糸魚川港の灯台が見える。着いたのは5時半過ぎ。予定より少し遅れたが6時過ぎの直江津行きの電車がある。10月から始まる紅葉がすばらしいと小谷で言っていたことを思い出しながら糸魚川駅に向う。 (終わり)
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■参考図書
●『千国街道 塩の道紀行』小谷村観光連盟のパンフレット
●『塩の道 千国街道 古道案内-歩く人のために-』 白馬小谷研究社
●『山里のきずな 小谷村大網に生きる』 信濃毎日新聞 平成21年5月出版
●『信州白馬山麓 小谷の本』 ほおずき書籍
●『塩の道を歩く』 文=田中欣一 写真=田北圭一 信濃毎日新聞社
●「塩」の本・「塩の道」の本
糸魚川市民図書館
「これを全部読めば、あなたは「塩の道博士」(?!)」と出ている。
■参考サイト
●小谷塩の道案内
各コースのなかで、国土地理院25000分の1地形図にルートが表示されている。
●信州小谷村観光
●古道 塩の道
こちらも各コース別に、ルートが表示されている。
●国土地理院 25000分の1地形図(越後大野)
糸魚川市内の地図で、駅の南西にある「新鉄ニ丁目」の「新」の部分が、コの字道路。
(糸魚川駅 構内)
千国街道(平岩-大網)(9)
2009年08月29日
09年 8月29日 土曜日

(大網の集落)
朝の7時前に平岩の「大網橋」に再び来る。「大網橋」から「大網峠越えコース」を採り、約10時間掛けて千国街道の最終地点 糸魚川まで行く予定とする。
「大網橋」前を、先ほど糸魚川から乗ってきた一番気動車が、平岩で待機したあと南小谷に向けて通過して行く。ちょうど7時に「大網橋」を渡り右側に林道を登って行く。しばらく歩くと今度はUターンをして左側へと登って行く。途中に発電所の送水管があり横断して進むと、出発点の「大網橋」が再び真下に見えてくる。
さらに林道を進むと、「塩の道 千国街道」「大網峠越え」の大きな道標に出会う。案内書に「大網」に向かうに林道の途中から直線的に近道が記してあるので、この地点から左側の草の道を入る。
さらに進むと夏草が高く生えている。このなかを入って行くのか?と半信半疑になる。朝露の付いた夏草のなかを進む。やっと草から抜け出して畑のある平らしき場所に上がる。「荷換峰」の道標が草のなかに埋もれて立っている。少し歩くと、再び「大網峠越え」の道標が立って、その先に「大網」の民家が見えてくる。大網橋から35分ぐらいで来たが、ズボンは朝露でズブ濡れになる。この近道の「塩の道」、あんまり歩いていないようだ。パンフレットの「大網峠越えコース」は、平岩駅前からバスで大網に入るようになっている。「塩の道」らしい草道を踏み固めて入れば、小谷の最北集落「大網」に来たという感動があってよいのだが!
朝日があたって山に囲まれた「大網」に入ったが、人の気配はしない静かな集落(写真1)。もっとも平日だからかもしれない。まっすぐ下り集落の中央部に来ると、再び大きな道標がある(写真2)。
その向こうに「大北農協 大網出張所」が見える(写真3)。
『山里のきずな 小谷村大網に生きる』に「農協出張所 唯一の店をつぶさない」と書かれていところだ。入口に「開店時間 毎週 火・金曜日 午前10:0~午後1:00 皆様のおいでをお待ちしています JA大北 小谷営農センター」と案内が出ている(写真4)。本のなかに「注文しておいた牛乳や肉、豆腐が火曜日に農協の出張所に届く」と、「名札付いた牛乳」の写真とともに載っている。なぜ火曜日かと疑問に思っていた。ここの出張所は火と金曜日の週二日、それも3時間しか開いていない。残念ながら、訪れた日は開店日でなく時間的にも無理で、「名札付いた牛乳」をみることができない。
道標の先に「大網諏訪神社」があり(写真5)、その裏に「大網公民館」がある(写真6)。本のなかで「出張診察所」、「介護NPO」の体操教室、「老人クラブ」などがこの大網公民館で行われる様子が紹介されている。朝早いので、公民館には誰も居ないが、猫2匹が周りで遊んでいる。集落中央に朝日に照らされた夏の花がきれいに咲いている(写真7)。
その後、お堂(西明庵)の前に行くと、やっと犬の散歩をされているおじさんに会う(写真8)。本のなかに、「話に花をさかせた」と、お堂前の様子が載っている。また、このお堂の縁日の写真もある。お堂の前手が廊下になっていて、その奥に戸開がある。廊下は集まって座るにちょうどよい高さで、さらに廊下で雪を払って室内に入るようによく出来ている建物だ。
千国の牛方宿で話題になった「塩蔵」に行ってみる(写真9)。新しく大きな塩蔵が出来ている。ライトが付いたモダンな塩蔵に鞍替えしている。「大網宿塩蔵」と大きな看板が目に付く。聞いていないので推測だか、以前のより大きくして使い勝手のよい倉庫か納屋に使われているのでないかと印象をうける。
坂の上から見る大網は以外に住宅が多い。(写真10の右側にも住宅が多くあり写真のなかに入りきれない)。それに、瓦屋根が多い。「小谷で春が一番早く来るのは海に近い大網」と泊まった宿で話していた。
『信州白馬山麓 小谷の本』に大網の由来が書かれている。
「奴奈川姫が命を生むときにこの地に産屋を建ててその周りに漁に用いる大きな網を張り巡らしたのでこの地を大網と呼ぶようになったという。」
一日で糸魚川まで行かなければならないので大網に長く居ることはできない。すぐに大網峠のほうへ向かう。
(写真は糸魚川の奴奈川姫)
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■参考図書
●『山里のきずな 小谷村大網に生きる』 信濃毎日新聞
平成21年5月出版
●『信州白馬山麓 小谷の本』 ほおずき書籍
●『千国街道 塩の道紀行』小谷村観光連盟のパンフレット
●『塩の道 千国街道 古道案内-歩く人のために』
白馬小谷研究社
■参考サイト
●小谷塩の道案内
各コースのなかで、国土地理院25000分の1地形図にルートが表示されている。
●信州小谷村観光
●古道 塩の道
こちらも各コース別に、ルートが表示されている。
(大網の集落)
朝の7時前に平岩の「大網橋」に再び来る。「大網橋」から「大網峠越えコース」を採り、約10時間掛けて千国街道の最終地点 糸魚川まで行く予定とする。
朝日があたって山に囲まれた「大網」に入ったが、人の気配はしない静かな集落(写真1)。もっとも平日だからかもしれない。まっすぐ下り集落の中央部に来ると、再び大きな道標がある(写真2)。その向こうに「大北農協 大網出張所」が見える(写真3)。
『山里のきずな 小谷村大網に生きる』に「農協出張所 唯一の店をつぶさない」と書かれていところだ。入口に「開店時間 毎週 火・金曜日 午前10:0~午後1:00 皆様のおいでをお待ちしています JA大北 小谷営農センター」と案内が出ている(写真4)。本のなかに「注文しておいた牛乳や肉、豆腐が火曜日に農協の出張所に届く」と、「名札付いた牛乳」の写真とともに載っている。なぜ火曜日かと疑問に思っていた。ここの出張所は火と金曜日の週二日、それも3時間しか開いていない。残念ながら、訪れた日は開店日でなく時間的にも無理で、「名札付いた牛乳」をみることができない。
道標の先に「大網諏訪神社」があり(写真5)、その裏に「大網公民館」がある(写真6)。本のなかで「出張診察所」、「介護NPO」の体操教室、「老人クラブ」などがこの大網公民館で行われる様子が紹介されている。朝早いので、公民館には誰も居ないが、猫2匹が周りで遊んでいる。集落中央に朝日に照らされた夏の花がきれいに咲いている(写真7)。
その後、お堂(西明庵)の前に行くと、やっと犬の散歩をされているおじさんに会う(写真8)。本のなかに、「話に花をさかせた」と、お堂前の様子が載っている。また、このお堂の縁日の写真もある。お堂の前手が廊下になっていて、その奥に戸開がある。廊下は集まって座るにちょうどよい高さで、さらに廊下で雪を払って室内に入るようによく出来ている建物だ。
千国の牛方宿で話題になった「塩蔵」に行ってみる(写真9)。新しく大きな塩蔵が出来ている。ライトが付いたモダンな塩蔵に鞍替えしている。「大網宿塩蔵」と大きな看板が目に付く。聞いていないので推測だか、以前のより大きくして使い勝手のよい倉庫か納屋に使われているのでないかと印象をうける。
坂の上から見る大網は以外に住宅が多い。(写真10の右側にも住宅が多くあり写真のなかに入りきれない)。それに、瓦屋根が多い。「小谷で春が一番早く来るのは海に近い大網」と泊まった宿で話していた。
「奴奈川姫が命を生むときにこの地に産屋を建ててその周りに漁に用いる大きな網を張り巡らしたのでこの地を大網と呼ぶようになったという。」
一日で糸魚川まで行かなければならないので大網に長く居ることはできない。すぐに大網峠のほうへ向かう。
(写真は糸魚川の奴奈川姫)
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■参考図書
●『山里のきずな 小谷村大網に生きる』 信濃毎日新聞
平成21年5月出版
●『信州白馬山麓 小谷の本』 ほおずき書籍
●『千国街道 塩の道紀行』小谷村観光連盟のパンフレット
●『塩の道 千国街道 古道案内-歩く人のために』
白馬小谷研究社
■参考サイト
●小谷塩の道案内
各コースのなかで、国土地理院25000分の1地形図にルートが表示されている。
●信州小谷村観光
●古道 塩の道
こちらも各コース別に、ルートが表示されている。



